"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

旭浜 (室蘭本線) 1997

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停車場間の線路容量は、駅間距離も然ることながら列車の運転時分にて決まる。つまりは最も運転性能の劣る列車、かつてには貨物列車だったのだが、それの全列車に占める割合などによっても前後するものの、大まかには単線区間の5キロ程の駅間なら一日に80回程度が目安とされていた。
動力車性能の劇的改善の無い中で、これの拡大には閉塞区間の増設を要し、単線区間であれば当然に列車行違設備の設置、即ちは信号場が置かれることになる。その位置は、理想的には分割された両区間で容量の均衡するよう両端停車場間の距離的、運転時分的な中間が望ましいのは云うまでも無い。

アジア太平洋戦争戦時下の陸運転換政策により、1943年9月25日に長万部-静狩間10K600Mに開かれた旭浜信号場は、静狩原野のほぼ平坦な直線線形に、それぞれへ5.3キロの丁度中間の地点が選ばれた。長万部場内への着発に速度の低下する長万部方の運転時分がやや上回って、線路容量は静狩方の101回に対して92回と均衡しなかったけれど、目安の80回を超える容量は線形の良さゆえであり、D52ないしD51による1200t列車運転には多いに貢献したものと思う。1944年に米軍の偵察機が撮影した空中写真には本屋と少し離れて5棟の官舎が確認されるも、周囲に開拓農家も存在せず、原野の只中に置かれた停車場と知れる。1969年9月19日からの長万部-静狩間複線運転による廃止後(廃止は9月20日付)にも乗降場施設として残された土盛の乗降台は、この開設以来の設備と思われるのだが、写真の解像度では判別出来なかった(それらしきは見える)。 
当時、ここには地名のなかったのだろう。停車場名称に採られた旭浜は、5キロ彼方の長万部市街地北端、長万部川河口付近の字名であった。
なお、線増工事では信号場場内の上下本線位置がそのままに上下線に転用され、長万部方は現上り線が、静狩方は現下り線が増設線である。

長万部起点3キロで海側に遷移し、8キロ付近のR=2000曲線で緩く内陸へと左転するまでの線路は、どこまで走っても変わらぬ風景が続く。少ない停車列車で旭浜に降りたものの、上下方を見通しても全く同じ光景には歩く気も失せてしまい駅から然程遠く無い地点に三脚を立てた。
被写体は小雪に視界の効かぬ向こうから唐突に現れ、高速で目前を駆け抜けると再び小雪の舞う中へと消えて行く。列車は5010D<スーパー北斗10号>。

[Data] NikonF4s+AiNikkorED300mm/F2.8S 1/250sec@f5.6+1/2 NON filter PKL Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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