"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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函館ドック前 (函館市交通局・本線) 1979

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函館市は観光都市のイメイジで語られることが多いけれど、かつて四方に伸びていた市内電車に見た市街地は、どこか殺風景な印象がある。函館観光の核心に位置する末広町停留所から十字街、坂道と趣の在る街並の続いた宝来町から谷地頭の函館山山麓地域を離れれば、倉庫街に工場地帯を抜けて北へと向かった本線は勿論、湯の川線、東雲線も広い道幅に住宅の市街地を淡々と走ったものだった。
函館山の麓と云えど基坂を過ぎれば街並の様相の一転して、そこは函館ドックを中心とした工場労働者の町であった。

戦前期から函館の都市経済を支えたのは、北洋に船団を送り出した水産業に、もうひとつの柱が函館ドックとその下請企業による造船・機械関連産業であった。1980年代以降に市勢の振るわぬのは、その基幹産業の時を同じくした衰退によるところが大きい。市域人口も80年の345165人(国勢調査集計値)を最大に漸減を続けている。
函館市史には、1977年当時に市内の造船関連企業への就業人口は6200人に達し、函館ドックには従業員(所謂本工)の2300人に下請関連も同じく2300人が働いたと在る。市内電車はその通勤輸送に賑わい、昼夜の勤務に午前0時近くまで運行が行われた。
入舟町、弁天町、大町には労働者を当て込んだ飲食店が進出し、そこには函館で「もっきり」と呼ばれた立ち呑み屋が数多営業していた。
立ち呑みと云えば近年には鉄道会社の駅ビル商売のひとつとなって、洒落た店舗に待ち合わせスポットにも使われているらしいが、本来には文字通り土間にカウンターと簡易なテーブルの在るだけの安酒場である。金欠の写真学生時代には渋谷の桜坂下にも在ったそこへ冷や酒を呷りに通ったものだった。
これの始まりは酒屋、現在に云う酒販店である。酒がガラス製の瓶に封入されて売られるようになるのは1900年代以降のことで、その永い酒造史の中では至極最近に属する。それ以前には徳利を下げて量り売りを買いに往くものだったのである。そして徳利の無ければ、その場で呑みもした。これが転じて古の酒屋は呑み処でもあった。
ガラス製一升瓶の登場以後にも、この習慣は廃れること無く続き立ち呑み屋に連なる。函館の「もっきり」はこれであった。飲食店の営業許可を得ている訳ではないから、酒は現状売りしか出来ない。あくまで酒販であり、本来には燗酒の提供も御法度である。肴も調理品はあり得ず、袋入りの乾き物を客が購入してその場で封を切ると云う形態を取る。「もっきり」は一合枡など酒器一杯ずつの量り売りを「盛り切り」と称したのが語源とされる。

1960年代の最盛期には店に入り切れぬ程に客の押し寄せた「もっきり」であったが、1973年の第一次オイルショック以降に造船業界は長期の不況に見舞われ、函館ドックもまた縮小を余儀なくされて1984年には来島ドックの坪内敏雄に再建を託するまでに至る。関連の下請企業の相次ぐ倒産には「もっきり」の転廃業も続いた。最後の一軒となった千代盛商会の廃業は1999年12月と市史には在った。よくぞ生き存えたとの印象だが、函館どつくも一応の再建を果たしたその頃に、立ち呑み屋は最早時代の間尺に合わなくなっていたと云うところだろう。

まもなく終点函館ドック前(現函館どつく前)に到着する500形515は3系統に運用中。柏木町からガス会社前を経由しての系統だった。
市内電車を撮ると、どうしても街を横目で覗き込むような視線になってしまう。きっと、そこの生活者では無いからだろう。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.4 1/125sec.@f4 Y48 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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