"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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植苗 (千歳線) 1991

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国鉄の民営化時に旅客鉄道会社へ承継され無かったものに「客車運用(表)」がある。勿論、それ以降も客車列車は運転され、当然に運用表も作成されたのだが、その性格は異なったのである。運用に付される運用番号の記号が、国鉄当時の「北東」や「大」の鉄道管理局の略号から「尾」や「宮」の運用担当区所へと替わったのは、この際のことである。

鐵道院・鉄道省の時代より客車は、その地方組織である鉄道局に「配属」され、鉄道局が保守管理に運用受持とした常備駅に「配置」されるものだった。次第に常備場所は、駅の一部から現業機関として独立した客車区や客貨車区が大半となって往く。
鉄道創成期に、現場組織としてはそれしか無かった駅が上部組織の監督の下に、その管理・運用を行った名残であろう。戦後に日本国有鉄道も伝統的にこれを踏襲し、運用は鉄道管理局毎に定められ、運用表の運用番号にはその略号を冠し受持区所の配置区が併記される所以である。そして、運用は出区から帰区までが単位とされ、原則に暦日を単位とした機関車など動力車とは考え方が異なっていた。
これは、蒸機機関車の運用がその能力から狭い範囲に限定されていたことに加え、乗務員運用と一体で考えねばならない運用は人間の活動サイクルである暦日単位が自然であったのに対して、自走しない客車にあっては、当初には朝から一定区間を数往復して常備駅へと戻る運用だったものが、鉄道の延伸と共に運行距離も夜行運転など遠方に及んで戻るまでに数日を要する事例も生じても、機関車に牽かれて出発してから回帰するまでを運用単位とするに不都合の無かったためであろう。かくして、客車運用表には機関車1両や電車1編成にその日の運用の割り当てられた動力車と異なり、運用に必要な編成数が「運用行路表」「客車編成順序表」(優等列車の場合、普通列車では使用形式と両数)と共に「運用組数」として書き込まれたのである。
これが旅客会社の発足に、運用表の様式こそ引き継がれたものの、運用自体は動力車と同様に「仕業」の性格にて組まれることになったのだった。客車列車に固定編成で往復する優等列車と一定の線区や地域を出ることの無い普通列車ばかりの残存して、運用管理を各車種で統一したものだろう。伝統的且つ職人的な客車運用の手法は、この時点にて失われたとして過言では無く、冒頭に記した運用番号の略号の変化と共に、夜行の優等列車では上下列車にて別の運用番が付されたのが、それを如実に表していた。

植苗への築堤を駆け上がるのは5列車<北斗星5号>。
尾久客車区の受持つこの列車には[尾23]の運用番が与えられていた。上りの6列車が[尾24]である。(カニ24のみ荷物車運用にて[尾荷123][尾荷124]に付番)

[Data] NikonF4s+AiNikkor105mm/F1.8S  1/500sec@f8 Fuji SC52 filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.

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