"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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上野幌 (千歳線) 1994

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特別急行列車を指定して運送する普通扱小荷物の取扱は、1958年10月1日の<あさかぜ>への20系固定編成客車投入を機会に開始された。これが後年に「ブルートレイン便」と呼ばれることになる輸送の嚆矢である。
当該する特急列車の停車駅相互間に通常小荷物運賃にそれと同額の「運送列車指定料金」を課しての運送は、その頃にも一定の需要の在った航空便からの転移を見込んでの施策であり、扱駅の限られたとは云え、当時の数日を要して到着日時も全くに不明の小荷物輸送に在って、翌日着の速達は画期的なものであった。けれど、この扱いは配達を伴わず駅留に限定されていた。迅速な市中配達網の存在しないゆえである。
また、これには特例扱として特急列車に接続なり継送となる列車を指定した特急停車駅以外の駅相互間も認め、それは映画館に配給される上映フィルム輸送を想定していた。
但し、この時代にいずれも高額な費用を要する特別な運送であり、特急列車が高嶺の花であったのと同様に個人の利用するものでは無かった。

この当時の経済構造の変化に見事に対応していた付加価値の高い輸送への需要は旺盛で、1968年10月1日改正からは新聞輸送に急行列車に連結された荷物車の余剰輸送力の活用により、個数や重量、品目を限定しての積載も始められた程であるから(*1)、営業は続々と置替や新設の行われた20系運用の全列車にて行われたものと思われ、10年を経た同改正の運用行路表にも11往復の全てで荷物車に独自の運用番が見て取れる。但し、それらは新聞の朝刊輸送(*2)も担ってのことであり、それとの区別や営業区間までは知れない。
非営業の列車の現れるのは、そもそもその設備を持たない14系特急形客車や24系にマヤ24の登場した1970年代のことで、それは当時に国鉄が客荷分離の施策を進めたことに加え、関西-九州系統や東北常磐線など同区間に数往復が雁行する設定(セクショントレインと呼ばれた)の全列車での営業を要しなかったためでもあろうが、同年代後半に到れば、従来からの財源であった高級荷物の高速道路の延伸や地方空港の整備進展による宅配便なり航空混載貨物への流出に扱いを取り止めた列車も存在していた模様である。
1979年10月号の時刻表(交通公社版)から巻末の営業案内に、この輸送が「列車指定荷物輸送」として掲載の始まるのも、その危機感からであろう。
そこでは、東京-山陽/山陰/九州間系統と関西-九州間系統の全列車での営業が確認され、この頃までには拠点駅には一応の集配体制も立ち上げられ、接続・継送列車を含めた輸送網の整備も進んだことを背景としていた。東京-宇野間列車で宇高連絡船を介した高松・徳島が営業範囲に含まれるのが特筆されようか。地上側体制整備の遅れたものか、共通運用の関係で荷物車運用は組まれていた日本海縦貫線と上野-奥羽地域間系統列車の記載は見られない。
宅配便の進出に対しては、1982年の2月に至ってようやくに集配網と料金体系を整備した「鉄道宅配便」(商品名)が始められ、特急列車による列車指定荷物輸送もその一部に組み入れられた。日本海縦貫線列車での営業はその際に開始されている。
しかしながら、これら施策も時期を逸して早くも1984年2月1日改正にて、荷物営業線区に「鉄道宅配便」扱駅の縮小を余儀なくされる中、1981年8月に東海道・山陽新幹線から始められた定形軽量荷物運送の「新幹線レイルゴーサービス」の夜行版との位置付けにて特急列車輸送には「ブルートレイン便」の商品名が付与されたのだった。
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(*1) これも特急列車と同等の「運送列車指定料金」を収受するものであったが、それら夜行急行の特急寝台列車への格上げにより移行の進むと、1978年7月6日付の制度改正にて、到着明確化対象の拡大を意図して整備された荷物専用列車や普通列車(に連結の荷物車)を含む継送網に対して、荷物1個あたりに100円を課する特急列車以外の列車を指定する「列車指定料金」として制度化された。多分に、1976年から展開の開始されたヤマト運輸による宅急便を意識したものと思われる。
(*2) この新聞輸送については、内地版の 陣場 (奥羽本線) 1980 に書いている。

国鉄が荷物専用輸送から撤退した1986年11月1日改正以降も継続され、1987年4月1日には旅客鉄道会社に承継されたこの輸送は、新幹線利用が宅配便の及ばぬ領域だったのに比して、それの午前中の時間を指定しての速達サーヴィスの充実に利用を減らしながらも、特急寝台列車自体の廃止も相次ぐ中、2010年12月4日改正時点まで<あけぼの>と<北斗星>に生き残っていた。<北斗星>での営業は、それの運転を開始した1988年3月13日改正より改正前の<ゆうづる5・4号>での上野-仙台-盛岡間を引き継いだもので、5列車と2列車で行われた。
写真は雨のようやくに上がった大曲橋梁を往く5列車<北斗星5号>。
勿論、道内入りしたこの列車の荷物室はカラである。

[Data] NikonF4s+AiNikkor105mm/F1.8S 1/250sec@f4 NON filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCC on Mac.

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