"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

江別 (函館本線) 1988

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現在もそれも走る太平洋石炭販売輸送臨港線はさておき、かつて隆盛を極めた道内国鉄線上における運炭列車が最後に走ったのは、いつのことだったのだろうか。記録は無いものかと調べても、それを記した文献資料は見当たらず、Web上からの明確な情報も今のところ得られていない。

1980年代後半当時に運炭列車の着駅となっていた港湾側では、留萌港南岸石炭桟橋への側線が1987年限りに運用停止となり、苫小牧港開発の運営した石炭埠頭臨港線での輸送も1988年11月21日に廃止されている。これ以降にも稼行した炭坑の南大夕張、芦別、赤平、空知、太平洋釧路の内、日本貨物鉄道に関わる移出輸送の発駅となり得たのは、三井芦別鉄道の連絡した芦別と住友石炭鉱業専用線の接続した赤平の他には無い。それは既に道内向け輸送であり、着駅は豊沼の三井東圧肥料専用線と江別の北海道電力専用線であった。末期の両炭坑の出炭の大半は、この二箇所に引き取られていたのである。特に、江別の石炭火力発電所は政策的に国内炭の使用が義務づけられていた。
よって、前記の専用鉄道・専用線が最終移出を行った1989年3月23日当日、もしくは翌日に芦別と赤平を出発した列車が道内最後の運炭列車と云うことになるだろう。現在ならばセレモニーのひとつでも施行されそうなものだが、当時の北海道新聞のデータベイスにもそれらしき写真は見つからなかった。情報をお持ちの向きには、ぜひご教示いただきたい。

新夕張川橋梁を往くのは、最末期の運炭列車の5490列車である。
頼城からの石炭車を継送して芦別を出発し、赤平にて専用線発の編成を増結、豊沼で一部を解放して江別に至っていた。工場専用線行きの運炭列車は、かつてにも駅着発線有効長などの関係にて港湾の貯炭場に向かうような長大編成は見られなかったのだけれど、それにしてもこれは寂しい編成と云わざるを得ない。石炭車は江別で2両を残して切り離され、それは着駅の札幌貨物ターミナルまで運ばれるのだが、半高架の取り下ろし線を要する石炭車荷役の引取先はわからない。
なお、機関車はこの直後にDE10の重連仕業に替わった。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/f1.4S 1/500sec@f5.6 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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