"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

徳満 (宗谷本線) 1973

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今や西日本旅客鉄道が承継したクモル145とクル144の1編成 2両のみとなったのが国鉄/旅客鉄道会社における配給車である。まもなくに、それを示す形式記号-配るの「ル」は消滅するだろう。
配給車とは勿論客車に始まり、文字通りに鉄道運営に要する資材や部品、用品などの各現場への配給に用いられた事業用車を指す。
この用途への新製車投入は客車には事例の無く、戦前に鋼製客車の時代となると木製の営業用客車が格下げ使用され、ナル17600や27700形などが1950年代前半まで残っていた(*1)。鋼製車もスハ32など20メートル級車登場以降には17メートル級のスユ30からのオル30やオハ31からのオル31が永く使われた。
それの運転は列車運行図表にあらかじめ組み込まれた定期、不定期運転の配給列車もあるが、多くは必要の都度1両単位に旅客列車や場合によっては貨物列車に連結して行われた。近年まで残った工場や検修区所などへの資材・部品輸送が知られるけれど、歴史的には駅を始め各現業機関の現場への事業用品輸送は全てこれにて賄われて来たのである(*2)。そして、配給車の運んだものは決してそればかりではなかった。

道内には、戦前は勿論のこと戦後にも交通に鉄道の他に無い山間や原野の僻陬地に駅や線路班などの多くが所在した。官舎(戦後には宿舎)に暮らす職員家族の生活必需品の買い出しにも、映画鑑賞などのたまの娯楽にしても近隣の都市までの往復に丸一日を要する位置は数多あり、中には1950年代後半に至っても未だランプを灯す生活さえ存在していた。
配給車は、このような職場への国有鉄道共済組合購買部(戦後には物資部)の要請による生活物資の配給にも用いられ、車内に商品を陳列した移動販売車と云うべき車両も存在したのである(*3)。加えて、戦後1950年代の旭川鉄道管理局管内には、映写機にスクリーンを積込んで巡回し「娯楽」を配給した記録すらある。勿論、同様事例は道内他局管内にも、或は内地にもあったことと思う(*4)。
運用に就いての詳細は不明に付き想像を逞しくする他ないが、おそらくは貨物列車などに併結されて送込まれ、貨物積卸線などに留置の上で「営業」したものだろう。
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(*1) 戦前の鐵道院・鉄道省に「ル」の記号は存在せず、配給用途車は職用車「ヤ」に含まれた。
(*2) よって形式記号は付されなかったが、貨車の配給車代用車も存在した。
(*3) かって開拓地に暮らした入植者が綴ったエッセイに「国鉄の販売車が定期的にやって来た」との旨の記述があり、国鉄職員家族ばかりでなくそこの住民にも広く開放されていたものだろう。(申し訳ないが、その出典は探し得ずにいる)
(*4) これを国鉄の部内広報誌「国鉄線」のコラム記事に拾えば、「映画上映車」と記されていた。車内の写真が、北海道新聞の写真デイタベイスに「レクリエイションカー」とのキャプションにて在る。車体断面形状などから電車からの戦災復興車の70番台系列に見えるが形式は分からない。

写真は徳満付近の上サロベツ原野での372列車。稚内から音威子府への解結貨物列車Bである。
上サロベツ原野への開拓は1899年に始まったとされ、戦後には「緊急開拓事業実施要領」(1945年11月9日閣議決定)に基づく、外地からの引揚者の開拓入植も受け入れた。農林省による1950年の農業センサスによれば、徳満地区の農家は30戸、耕作面積は一戸あたり平均で42.6反(≒42.2ha)とある。まだ酪農へと誘導される前のことで、主な作物は馬鈴薯に燕麦であった。未だ電気の通じなかったここにも、当然に「娯楽」や「売店」の配給車はやって来たことだろう。
1958年の客車配置表には、旭川客貨車区にオル31を始めナル17600など5両の配給車の配置が見て取れ、そのどれかが移動販売車だったと思われる。
1960年代ならば、スハニ3117を改造のオル321が小樽築港客貨車区に置かれて、それの全道を一定の運用順にて巡回したのが知られている。これには長期の巡回に同乗する販売担当者用の寝台設備が設けられていた。

[Data] NikonF photomicFTN+P-AutoNikkor50mm/F2  1/250sec@f4 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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コメント

配給車

配給車という形式が存在する事は知っていても、一体何を「配給」していたのか全く知らなかった薄学の者ですが、こういう役割を持っていたのかと改めて。
北海道の奥地など、それこそ開拓部落のような生活の国鉄職員と家族も多かったのでしょうし、
こんな配給車の到着は待ち遠しかったのでしょうね。映画まで配給とは驚き。
辺境に鉄路を守った多くの人々が居た事を改めて知らされます。

Wonder+Graphicsさんが掘り起こす鉄道秘史、ただただ脱帽です。

  • 2014/09/27(土) 20:35:43 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: 配給車

こんばんは。

この映画上映車のことは、以前に旭川局管内の仮乗降場を調べていた際に知りました。
かなり昔に、やはり開拓地に暮らした方の著作に「国鉄の映画会云々」の記述があり、何のことか不明だったのですが、
それで納得した次第でした。
おそらくは周辺の開拓農家のほとんどが家族揃って集まる一大イヴェントだったことでしょう。
国鉄と云うのは、たいした組織だったと改めて思います。

  • 2014/09/29(月) 00:30:35 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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