"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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函館 (函館本線) 1988

hakodate_1.jpg


函館本線の施設上の起点は現在も函館桟橋に置かれており、函館の駅中心は起点0K290Mにある。
この起点側の延長は、1924年10月1日の新岸壁の仮使用開始に際して、それに隣接して函館桟橋駅を設置したことによる。
函館桟橋駅は、1915年6月16日に既設の木造桟橋を拡幅して桟橋上に2線の線路と島式の旅客乗降場を設置したことに始まるが、この際には函館構内乗降場の扱いにて起点の変更はなされなかった。
貨車航送は、第一第二岸壁と命名された新岸壁の本使用により1925年6月1日より開始されている。

1924年に設置された桟橋駅の乗降場が有効長を延長され、後の函館第二乗降場、3/4番線ホームの原型となっている。あの緩やかにカーブし、13両組成の82系特急気動車が入線しても十分に余裕のあったプラットホームである。
<ていね/ニセコ>や<たるまえ>を牽引して来たC62が連絡船の船腹直下で機回しを行っていたことも思い出される。

実際、3/4番線は優等列車の発着する特別なホームであった。70年代には、未明の駅へと青函連絡船の深夜便から降り立つと、3番線に釧路行きの1D<おおぞら1号>が、4番線には旭川行きの11D<北海>が壮観に並び、2番線にはじき出された101Dの急行<ニセコ1号>がかなり格下に見えたものである。
長距離優等列車の仕立て駅の風格を体現した乗降場だったと思える。

1988年の海峡線開業からしばらくは本州連絡の寝台特急がここに発着していたけれども、列車としては途中駅に過ぎず、その風格も薄れた感があった。
その後、函館市の都市計画によりかつての跨線橋より西側で切断されてしまった第二乗降場に、もはや昔日の面影を見ることは困難だ。
今は、新第一乗降場として先端部の70メートル程が残されるのみである。

カットは、4番線ホームから発車直前の6列車<北斗星6号>。
オハ25の組成位置から88年の編成とわかる。

[Data] NikonF3P+AiNikkor300mm/F2.8ED Bulb@f11 Non filter Tri-X(ISO320)
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