"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

北舟岡 (室蘭本線) 1996

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北舟岡の列車行違設備は1994年3月1日ダイヤ改正を以て使用の開始されたものである。それは1986年3月3日改正まで同位置に存在した信号場当時の路盤を再利用し、直進構造の上下本線より海側に副本線(待避線)の分岐していた配線が忠実に復元され、その本線有効長もそのままに470メートルである。
この現在のコンテナ車編成貨物列車の最大20両組成、編成長の400メートルに十分に対応する輸送設備は、1963年9月30日の信号場設置に際して、当時にもD51による上りの定数1000tのワム車換算50両の列車長400メートルを根拠としていた。470メートルの有効長は、1950年代後半に室蘭・千歳線を主要経路とするに至った国鉄が標準とした模様で、北舟岡と同時期に開設の北入江信号場も同延長であり、待避線設置の構内改良の行われた美々に植苗の480メートル、線増時に移転した石谷の待避線の485メートルなどに事例がある。
ところが、これらの例はこの経路上各停車場の本線・副本線有効長としては短い部類に属した。多くの停車場での500メートル超は戦時下に実施された上りの1200t輸送に起因する。ワム車換算で60両の列車長は480メートルに及び牽引機の車長を加えれば500メートルが必要最小限となる。戦時下に開設された信号場は全てこの有効長を持ち、それの不足した停車場には延伸の工事が行われ、それが現在にも引き継がれているのである。
よって、北舟岡も伊達舟岡信号場として1944年10月1日に開設の際にはこれに従った有効長を持っており、現在に伊達紋別方場内信号機の向こうに本線と護岸との間に続く草蒸した用地が、1963年の北舟岡信号場開設時に用いられなかった路盤跡である。それは30メートルを軽く越えているから、伊達舟岡は550メートル程の有効長だったと推定される。

さて、1994年の行違い線設置の際には、客扱いしていた信号場当時には無かった設備が付加された。待避線側に増設された乗降場との間に架設の跨線橋である。高速運転区間の要員無配置駅での対向式乗降場を考慮したものであるが、製作費の節減による汎用歩道橋設計の流用は眺望に配慮したかのような設備にもなった。1993年10月の渡道の際に建造中のこれを見て早速に上ってみれば、眼前に噴火湾を一望する格好の展望台であり、後年の鉄道旅のブーム化に愛好者間でのこの駅の知名度向上は、その存在に依るところが大きいだろう。
けれど、せっかくの足場と云うのに鉄道の写真には不向であった。そこは上下方どちらを向いても中途半端に場内の写り込んでしまうのだった。

強い風雪の湾岸を往くのは5003D<北斗3号>。
この跨線橋から場内を排除した画角は伊達紋別方を切り取るこれしかない。万人が撮っても同じだから、光線か天候の自然環境で差別化することになる。
胆振地域は道内でも比較的穏やかな気候とされるが、それでも噴火湾は冬の北西風にも夏の南東風にも荒れる。河口を持つ河川へのダム建設などにより供給される砂の激減した1960年代以降に沿岸の砂浜は補給のなされなくなり流出が進んだ。この地点も1940年代の空中写真を見れば、その差は歴然であり、広い浜に多くの漁師小屋の並んでいたのが見て取れる。突堤形状に積み上げられた消波ブロックはその防止堤である。離岸堤の設けられないのは、ここは沿岸流の強いのだろう。

[Data] NikonF4s+AiNikkorED300mm/F2.8S 1/250sec@f5.6 NON filter PKL Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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