"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

落部 (函館本線) 1994

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函館本線の石倉-落部-野田生の区間は、15.2パーミル勾配が4箇所に介在して補機を要していた北海道鉄道(初代)の建設になる海岸段丘上部の線路を、アジア太平洋戦争末期の陸運転換施策により海岸線に沿った現在線の経路に変更した区間である。その経緯については此処へ何度か書き、Websiteにもまとめている。→函館本線 石倉-野田生間の改良と線増
これにより、補機の廃止ばかりでなく本州連絡の主要幹線の輸送力は大幅に増強され、現在に繋がる高速運転にも寄与することになる反面、海岸線をトレースする線路は掘削された段丘土工面の崩落と噴火湾の波浪による路盤浸蝕の危険に直面して、要注意個所の続く災害線区でもあった。
ここで海岸に続く段丘面の堆積物を構成するのは砂礫層であり、さらには太古からの駒ケ岳噴火による火山灰層が広範に存在すると聞けば、崩壊の危険を孕むのはその方面の素人にも容易に理解するところである。北海道旅客鉃道への承継後に限っても、法面崩落による数度の不通を生じており、1988年7月に青函トンネルで繋がったばかりの物流を最初に止めたのもここでの土砂崩れであり、2013年の洗掘による護岸擁壁の崩壊も記憶に新しい。

近年に列車への直接被害の無いのは幸いであるが、過去にはそのような事例も記録されており、1967年3月4日の、落部-野田生間で発生した貨物列車脱線転覆事故が最大規模であろうか。この区間の線増工事中のことであり、既設線の山側の切取り法面を切り広げて増設線路盤を構築の際、融雪による地下水に地盤の緩んで崩壊を引き起こしたのである。同日21時55分頃、折から進行中の453列車がこの崩落土砂に乗り上げ、牽引のD52468が海側に横転、続く貨車も10数両が脱線して内2両が転覆すると云う事故であった。復旧は8日午前となり、1日に運転を開始したばかりの小樽回り<北海>を含む本州線連絡列車の全面運休を北海道新聞が報じていたのを記憶している。

写真は海面から40メートル近い比高の切取法面の続く当該区間での8002列車。幾重にも法面防護工が施される。
この事故での崩落地点は、列車後方、函館桟橋起点69キロ付近のR=600M曲線あたりである。
なお、北海道新聞のフォトデータベイスには1966年8月20日にも発生していた同区間での土砂崩壊の写真がある。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/125sec@f5.6 NON filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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