"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

桂川臨時乗降場 (函館本線) 1984

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巡った先々では、そこの住民に随分と世話になりながら写真を撮っていた。見ず知らずの来訪者へのそれには感謝としか云い様が無い。
徒歩行脚の水筒に補給させて貰うのは日常茶飯事だったし、夏場なら庭の井戸や水道で顔を洗い汗を流させてもらいもした。前にも何処かに書いたけれど、自炊道具を装備しての貧乏旅行の当時には、調達に勿論代金を支払うつもりで訪ねた農家でバックパックに入り切れない程の食材を持たされもしたし、時にはそれに菓子やらパンの混じることもあった。鉄道屋はその頃には外部からの訪問者の珍しいような土地にまで出掛けていたからかも知れない。水を貰いに寄っただけにも、食事を振舞われた挙げ句に自家醸造のドブロク(所謂密造酒)まで馳走になり、風呂に寝床まで頂戴した経験もある。
時代は下っても、携帯電話の無い頃ならタクシーを呼ぶにせよ電話を借りるには民家を訪ねる他なく、逆に降雪の無人駅で列車を待てば、駅前住民に時間まで炬燵で暖まれと声の掛けられたのも一度や二度では無い。徒歩に距離のある地点への移動にヒッチハイクすれば、大抵は地元の軽トラが停まり荷台に乗せてくれた。

フィルムのトラブルに目についた民家に駆け込んで暗室代わりの押し入れにまで入れてもらったことは、前に書いたと思う。突然の見ず知らずの訪問者を善くぞ、と思えば本当に言葉も無い。切羽詰まってのことは他にもあって、どうしても入り込めなかった薮の斜面には民家まで戻ってカマを借りたことあれば、積雪が邪魔をした無人駅のホームの除雪にスコップを借出しもした。
どうしても、そこしか考えられない撮影位置には民家の庭先に立ち入らせてもらったし、見通しの良い二階の部屋まで案内されて、その家の婆様と茶呑み話をしながらの撮影さえあった。
俯瞰の高さの足りなくて土建事務所から長尺の脚立を借出した件も、前にここへ書いたと思う。
これらには可能な限り、当日のプリントを添えて礼状を書いたのは云うまでもない。

この桂川トンネル上部へもポータルの横から斜面を這い上がれず、反対側の高さ3メートル程の擁壁を越えるにハシゴを頼みに近くの民家を訪ねている。住民は無愛想な老人だったのだが、裏から勝手に持って往き、終わったら戻しておけと言われ、その大きく頑丈で重たいハシゴをトンネル脇まで運んだものだった。
写真は、それに味を占めての二度目の時で、件の老人の奥さんらしき老婦人が今度は愛想良く返事をくれたのだった。
噴火湾を眺めてトンネルへと走るのは123列車。この荷物車組成の無い長万部行きは、51形客車の函館所投入と同時に置替られた運用であった。

国道5号線の旧道に面した鷲ノ木の潮焼けした集落に、海岸沿いの漁師小屋を画角にする足場は、このトンネル上しか考えられなかったのである。
一時間ばかりを留まりハシゴに向かうと、大きな青大将がそれを伝って這い上がって来るのに出くわした。降りるに降りられず、日陰の低温にスロウモウな動きを見守ったのを思い出す。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/250sec@f4 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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