"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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七飯-大沼 (函館本線) 1988

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国道5号線の七飯町峠下から小沼湖畔の区間は、1998年2月に新大沼トンネル(l=747M)が供用開始となり、これを上り線に既設大沼トンネル(l=671M)を下り線とした4車線に拡輻・改良された。函館市内と峠下間に開通を予定した国道5号線自動車専用道(函館新道)の接続線としての整備であった。
その工事開始前まで既設トンネルの入口方に気に入った立ち位置の在って、幾度かリピートしていた。大沼から徒歩の凡そ40分は然程に遠い訳では無いのだが、そこに達するにはひとつ難関が待ち構えていた。その国道の大沼トンネルである。

函館から軍川方面への自動車道路は、1929年に峠下で当時の國道4号(札幌本道)から分岐して長坂峠を越え小沼畔へと下る経路にて開かれていた。かつてには乗合自動車も通ったこの道路は、それまでの人馬通行の峠道を改修したものであったろう。現在には地形図からも抹消されているけれど、峠下台場山の登山道への接続路としてご承知の方もおられるはずである。
同じように山間をジュンサイ沼畔へと向かっていた国道5号(旧4号線)の改良に建設されたのが、長坂峠直下を貫通して小沼畔に至る大沼隧道(開通時呼称)であり、供用は1964年のことであった。この際に大沼方面へもその出口で分岐するよう改められて、その名の通り長い坂道の続いた峠道が廃止され、森方面や軍川への利便は飛躍的な向上を見たのであった。
以来に、この主要国道上に介在したトンネルは通過交通量も多い上に、1950年代の計画・設計はやや狭小な断面とも思われ、歩道の設備されるとは云え、僅かに幅30センチばかりのそこを伝って徒歩にて通り抜けるのは至難の技だったのである。
同じ頃の自転車旅行者による記事をWebに読んだことがあるが、彼もまた「命の危険を感じた」と書いていたとおりに、まして大きな三脚も含めた撮影機材を背負っての徒歩通過は、決して誇張では無く「命がけ」であった。直線の洞内に車両は速度を上げて走り、大型車同士の離合ともなれば路肩に残る「隙間」など僅かであり、側壁に貼り付いてもなお文字通り鼻の先を走り抜けることになっていた。それは、或る程度に開き直らなければ通れたものではなく、671メートルを無事に抜ければ、緊張の解けて毎度脱力していたのを思い出す。

撮影位置は、藤城線の新峠下トンネル直上に架橋された道路橋である。ここも決して幅員の在る訳ではないので、やや厚みのあるコンクリート製の欄干に三脚の足の2本を置いて機材を装架せざるを得なかった。
列車は4時50分過ぎの通過だった1列車<北斗星1号>。函館からのスハフ14が機関車次位に見える。その機関車は国鉄制式塗色である。
大沼トンネルを通過せねば到達出来ない憂鬱と、この切通し区間の魅力を天秤に掛けては後者を選んでいたのだった。
往きがあれば帰りもある。撮影を終えれば、また覚悟でトンネルに踏み込むことになる。

[Data] NikonF3P+AiNikkorED180mm/F2.8S 1/60sec@f4 NONfilter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCC on Mac.


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コメント

感動しました。

外伝の「ようこそ北斗星」からこの記事へ来ました。
同世代の小学生前からの鉄道&写真ファンとして、写真のみならず文章に感動しました。
すべてのJR関係者に読んでほしいですね。
お互いに、健康に気をつけて、真っ直ぐな視点・論点でやって行きましょう。
ありがとうございました。

  • 2016/12/12(月) 06:40:15 |
  • URL |
  • Ciao ! #HfN.UWD6
  • [ 編集 ]

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