"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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厚岸 (根室本線) 1980

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オランダ王国東インド会社の艦船カストリクム号が1643年の夏に18日間を停泊した海岸は何処だったのだろうか。厚岸町は厚岸湾とするが、艦船の停泊するような位置となれば、やはり現在のバラサン地区と云うことになるのだろうか。
ノイアサックと名乗る長のもとに暮らす住民達から、オランダ人はその地名を「アッキス」と聞き取っている。この先住民族アイヌの発音はアッケウシィ(at-ke-us-i)であり、それは寄港地の地点名では無く、おそらくは彼らの暮らす土地全体を指したものであろう。この時期には松前藩による交易場(アイヌ民族には被収奪の場)たるアツケシ場所も開かれており、そこには交易船も寄港していたと云う。

時代は下って幕末の1855年、函館を開港した徳川幕府は北方警備から東蝦夷地を再び直轄領とし、津軽・南部・秋田・仙台藩の奥羽地域各藩に分担支配させ警備を命じた。アツケシ領を支配した仙台藩が1859年に作成した支配地絵図「仙台藩管轄厚岸領図」によれば、それはクスリ領、子モロ領と境を接して、現在の厚岸町苫多地内から根室市昆布盛付近に至る海岸線と内陸部を含む広大な地域であり、そこにはアイヌ民族から聞き取ったと思われる多数の地名が記されるけれど、アツケシの名は見られない。現在に厚岸駅の置かれる市街地位置はタンタカ、厚岸湖の湖口はタンタカ岬と記される。その対岸がノテト岬と在り、1804年建立の国泰寺は当然に記載されるが、そこまでの海岸線にもホントやヘトマイ、ホニコイにバラサンの地名のあるのみである。
そして、この時代までにアツケシ領の中心地は浜中湾西岸とも見て取れ、番屋の他に多くのアイヌ集落が描かれている。そこは1700年代初頭にアツケシ場所を分割してキイタップ場所の置かれた位置であり、交易拠点から変じた好漁場だったのだろう。
これに対して、仙台藩や開拓使初期に支配を命ぜられた佐賀藩も国泰寺の所在したバラサンや、かって会所の置かれたホント地区を本拠とし、やがては開拓使の出張所も置かれて、ここに市街地の発達する契機となり、時代の進めばアツケシ領の行政中心として厚岸を名乗ったのである。

湖岸を北上する線路沿いには保線用なのか通路が続いて、左手の丘陵が湿原に尽きる手前でそこへと分け入る細道に繋がっていた。それを辿ればやがては北に景観の開けて湿原の線路を見渡せたけれど、背景の国道をどうにも処理出来ずに諦めたものだった。
仕方なく再び線路まで降りて写真機をセットするが、今度は自分の付けた足跡が写り込む。
列車は404D<狩勝4号>。後追いである。
キハ56/27の2両組成は釧路からキロ26を含む附属編成5両を増結して札幌へと向かっていた。

[Data] NikonF2A+AiNikkor28mm/F2.8S 1/125sec@f5.6 Nikon Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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