"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

本輪西 (室蘭本線) 2008

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東日本の太平洋岸を襲った過日の災禍に、被災住民の仮設住宅としての活用が報道されて存在を知った方も多いのではなかろうか。労働省傘下の特殊法人「雇用促進事業団」が設置・運営した「雇用促進住宅」である。
1961年のそれの設立に際しての根拠であった『雇用促進事業団法』(1961年6月6日法律第116号)が、その第19条に広域求職による就業者に対する宿舎の設置と運営事業を規定したのは、同事業団が既存団体の「炭坑離職者援護会」の事業引継ぎを想定していたからに他ならない。政府は1955年時点にて『石炭鉱業合理化臨時措置法』(1955年8月10日法律第156号)を成立させるなど、近い将来の石炭鉱業の大幅縮小を予期しており、炭坑閉山による大量の離職者の発生に対応を迫られていたのである。
その宿舎が雇用促進住宅と呼ばれた住戸であり、全国47都道府県の全てに設置がなされた。2Kから3LDKまでの規格化された各種間取りの鉄筋コンクリート構造の集合住宅である。
事業開始当初に主な対象となった炭坑離職者に対して、事業所・工場等の集中する都市部やその近郊への建設戸数が大半ではあったけれど、農林水産業や地方立地の工場などへの転職も視野にしてルーラル地域への建設事例も少なく無い。

鉄鋼業を中心に工業地帯を形成していた室蘭市は炭坑離職者の受け皿地域と目され、1972年度までに水元、高平、白鳥台の各宿舎の計10棟400戸が設けられるのだが(1980年度に蘭北宿舎の2棟80戸を追加)、雇用保険料を原資とした事業予算での建設は、いずれも当時には市街地を離れた周辺部に用地を求めてのことだった。特に高平宿舎の4棟160戸は港北地区高平町の後背台地の標高80メートル位置が選ばれ、かなり後年になって宅地開発のなされた八丁平方面への道路も開かれたけれど、1968年12月の入居開始当時なら台地上に唯一の隔絶された地とも云えた。山間の炭坑住宅に暮らした人々には気にならなかったのかも知れぬが、現在でも国道上のバス停から1.6キロ、小学校へ徒歩30分、中学校へは70分と、現運営受託者である一般財団法人 SK総合住宅サービス協会のWebサイトにある。

この台地斜面は戦後の食糧難の時代に耕作地とされて、かつては上部まで農地が広がっていた。現在には放棄されてクマザサに覆われているけれど樹木の取り払われているのは、それゆえであり、高平宿舎の近くに立てば白鳥湾、白鳥大橋に本輪西の市街地を一望に見渡せた。
本輪西の側線から本線へと進出するのは、8773列車。屋根の深いDF200のには、このタンカー編成が良く似合う。

当初に2年間に限られた雇用促進住宅への入居は、求職構造の変化と共に次第に条件の緩められ、現在には延長期限の5年を遥か越える長期入居者も多いと聞く。けれど、全国的に建物の老朽化も進み、また本来の役目も終えたとして2021年度までの全廃が決定し、ここ高平宿舎への新規入居もとっくに停止されている。

[Data] NikonF5+AT-X300AF PRO 300mm/F2.8D 1/250sec@f5.6+1/3 C-PLfilter Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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