"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

門静 (根室本線) 1984

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2001年までなら通産省工業技術院に所管の地質調査所は、月刊にて発行していた一般向け地質情報誌「地質ニュース」の1971年7月号所載の記事にて、門静停車場北方の厚岸町太田宏場地区で採取の行われる砕石を「門静石」と書いていた。同記事には、それは中生代後期白亜紀のヘトナイ世での生成を示す二枚貝化石を産出する「門静層」から採取され、「堅硬な凝灰質粗粒砂岩で、白班を点在させる特徴を有する」とある。地質年代の区分によれば、ヘトナイ世とは6500万年から8300万年前を指し、この時代の火山活動による降灰にて形成された地層である。

その、そう云われても全くに合点しない程の古からの門静石が、現在にまで道東地域鉄道線路の道床材に使われている。軌きょうからの列車荷重を均等に路盤に伝え、走行毎に破壊の進む道床の構造材には堅硬な岩石を適度な大きさに破砕した砕石が、その稜角形状による「締まり」からも最適とされ、帝国鐵道庁は早くも1907年12月に硬質の砕石を精選品と定めて、既成線の砂利を順次これに入替えるとし、鐵道院により1912年1月に制定の最初の軌道構造に関する規定である「軌道整備規程」にも精選バラストとして標準化していた。
これには、当時に建設線の多くに地方開発線が予定されたことを背景に、既設幹線に精選バラストを、新設線と列車運転に常用しない側線に並バラストを標準とするよう定められていたのだが、この1917年12月1日に釧路の移転を伴って厚岸との間に開通した根室線には砕石バラストが用いられ、北海道建設事務所による1921年の「根室線建設概要」に明確な記載は無いものの、それは門静石であったろう。門静構内から分岐して採石場に達していた線路もこの際の敷設と推定される。

当初に北海道建設事務所による直営と思われる砕石事業は札幌鉄道局に引き継がれ、戦前の変遷は不明ながら戦後には民間により行われていた。国鉄の需要に対応しての採取には専用線も維持されて、1971年10月2日付の門静の貨物扱い廃止以降も積出列車の運転されたが、運行は必要の都度設定の臨時列車であり、その牽引機関車が専用線内も入換運転にて入線していた。
北側に分岐した専用線に繋がる側線が本屋と本線間に入り込む配線の駅構内は、乗降場が本屋から遠かったのを思い出す。
1982年までの稼働を実見していた専用線の廃止時期は明らかに出来なかった。1986年11月改正での釧路-根室間への電子閉塞導入に際しての棒線化までの間には違いない。けれど、現在にも重要な道床用砕石の供給元であり、採石場での事業は同所に事業所を持ち厚岸地区砕石事業共同組合を構成する5社にて継続され、北海道旅客鉃道は貨物側線の整理された厚岸構内に積込場を設けて対応している。

写真は門静から左転して湾岸に達した213D<ノサップ3号>。北緯43度の光線は、まだ14時を過ぎたばかりと云うのに陰影を引込む。舞い落ちる雪片も逆光に写り込んでいる。
画角の区間は、後年に押し寄せる波浪に路盤を流失して、現在では山側への移設線を通過する。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4S 1/250sec@f8 FujiSC42filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCC on Mac.

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