"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

釧路 (根室本線) 1986

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母方の実家は戦前に茨城県水戸市内で大規模な養鶏場を経営していた。戦争末期の空襲で鶏舎の焼け、戦後の農地改革にて土地をも失ってしまうのだが、記憶に在る母の実家の敷地にも名残の鶏小屋が置かれていたのだった。鶏卵の自家採卵程度の施設ではあったものの、近所から買いに来る人も居たから、祖母の小遣い稼ぎ程度にはなっていたのだろう。食用での飼育ではないけれど、当然に廃用鶏が出ればそれに充てて、親戚一同が集合する機会や慶事などに祖母は鶏料理を振舞っていた。本格的にブロイラー鶏の出回る以前にて、まだまだ鶏肉の高価な時代である。そこには、お決まりの骨付もも肉の素焼きの他、唐揚げも並べられて子供らには馳走に違いない。
そのレシピを受け継いだであろう母の唐揚げは、タレに漬け込んで澱粉で揚げる製法であった。澱粉は戦時中の小麦粉の代用品の名残りであり、生姜や大蒜の擂り下ろされたタレを、母は龍田揚げとは区別していた。
1960年代を暮らした札幌で母自身も家族も違和感を感じなかったのは、それがたまたまに「ざんぎ」だったからではなかろうか。寒地ゆえにブロイラー導入の遅れた当時の北海道で、その呼称が家庭にも浸透していたものか分からぬが、製法は同等だったのである。

この家庭の味に対して、都内に一人暮らしを始めると定食屋や総菜屋での鶏唐揚げの薄味には唖然としたものだった。ずっと時代を下った1980年代の半ば、小樽駅前の食堂で出会った「ざんぎ定食」は食べて懐かしくも在る唐揚げだった。
食用油業界が設立を主導したと思われる「日本唐揚協会」は、内地での鶏唐揚げと北海道の「ざんぎ」を同一のものとしているようだが、確かにそのヴァリエイションには違いあるまい。
鶏肉の高価だった戦前の時代なら、その下味の作法や製法は全国の鶏料理屋独自に存在していたことだろう。道内に何店もは無かったはずのそこへはしっかりとした下味が移入され、料理屋のものだった唐揚げが、60年代以降に家庭へと普及する過程にてそれに収斂されて往ったと思われる。その語源には諸説が語られる「ざんぎ」の呼称と共にである。

霧の釧路川を渡って往くのは213D<ノサップ3号>。河畔の岸壁は既に使われておらず、ここの繋留されるのは廃船ばかりである。
現在に「ざんぎ」は釧路が発祥を名乗り、流行の地域グルメとして町起こしを担っている。ザンタレ("ざんぎのたれ"の意か)をつけて食するのは特徴的だが、同じような供食形式の店は昔から都内にも在った。とは云え、数回は立ち寄った市内末広町の呑み屋での「ざんぎ」は実に美味い。ビールが何杯でも呑めそうだ。
この「ざんぎ」は最近には内地にも進出を果たして、いつも都内と行き来に通る町田にも小田急電車の車窓に見えるところに「北海道ざんぎ旭屋」なる売店があり、繁昌している様子である。そして2014年4月には、女子学生御用達のファッションビル-町田ジョルナの2階、カフェの退店した跡に「釧路ザンギ食堂」が開店した。釧路でのオヤジ達の酒の肴は、ここ町田では女子高生のおやつと化した。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4S 1/250sec@f5.6 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCC on Mac.

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