"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

遠軽 (石北本線) 1979

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遠軽の駅前通りは1970年代の初めまで、正面の駅舎に向けてその末端が急傾斜していた。しかも、それは土道だったと記憶する。これを掘り下げて平坦化し、駅へ階段で達するように改められたのは1973年か74年のことと思う。70年頃から進められた市街地幹線道路の舗装工事に追随して、国鉄が駐車スペースの取れる駅前広場の整備に動いたものだろう。この際、その一角に貨物積卸場の奥側に在った国鉄の物資部が店舗を新築、移転していた。駅前広場に店舗を構える物資部など全国的に希有な事例なので良く覚えている。

第一次世界大戦当時の1918年、その影響による米価高騰を端に全国で頻発した「米騒動」と呼ばれた市民争議を切っ掛けに、鉄道省は国有鉄道職員家族の生活不安払拭を目的に「国有鉄道共済組合購買部規程」(1918年8月達1043号)を整備した。共済組合資金の運用により、高騰する生活物資を安価に提供する事業であり、その組織末端の配給拠点として全国に設けられたのが配給所であった。販売所としなかったのは購買代金は全て給与からの天引きにより、そこで現金の支払いのなかったためであろうか。当初には個所数も少なく、そこから列車にて正に配給された様子であるが、次第に数を増やし遠軽への開設は1936年11月と記録される。1932年に石北線が全通し、遠軽機関庫が本庫へと昇格して、ここに暮らす職員と家族の増加に対応したものだろう。正式には共済組合購買部札幌地方部野付牛支部遠軽配給所であった。支部は鉄道の外部組織とされたから配給所は現業機関の遊休施設等が利用されるのが通例で、ここでは貨物扱い用地の奥まった一角の建物が転用された。

アジア太平洋戦争の戦時下においては肝心の物資の不足する中、職場での勤務用物資の需給と職員への糧末供給が主要業務と変質せざるを得ず、従来規定を廃して「国有鉄道共済組合物資部規程」(1944年4月達253号)を制定、全国一体の組織から鉄道局や管理部門毎の運営・管理とされた。
戦後に公共企業体日本国有鉄道が発足し、1948年に全ての国家公務員の福利厚生に関わる『国家公務員共済組合法』(1948年6月30日法律第69号)が施行されると、国有鉄道の共済組合もそれへの準拠を明文化する必要の生じて、新たに「国鉄共済組合物資部規程」(1950年8月総裁達422号)が制定された。これは、鉄道管理局や管理部門毎の運営を継承し乍らも、職員福利厚生の共済組合運営に回帰し深度化させるものであった。これにて、遠軽の配給所は旭川鉄道管理局長に所管される国鉄共済組合物資部旭川支部に属した。
この改正での配給所に関わる変化は、戦時下にやむなく黙認していた現金取引を正規に認めたことであった。これは配給所が次第に商品を並べた店舗化する布石となったのだった。

遠軽配給所の「国鉄ストア」と称しての駅前広場移転は1974年1月である。60年代の日本経済における高度成長は、職員家族にも生活様式や消費行動の変化をもたらし、スーパーマーケットの進出や大手流通資本による全国展開などにより物資部の利用率は年々に低下しつつあり、共済組合も利用回復とそれらに対抗し得る経営の近代化が課題となっていたのである。旧店舗でも受け入れていた一般からの利用を全面的に認めての駅前店舗進出は、それの一環であった。

冬の澄んだ西日の差し込む遠軽構内。冬至から間もないこの時期、それは願望岩の向こうに没する。暖冬で、まるで融雪期のような様相を見せていた。
駅前で営業していた国鉄ストアは、旅行者には無縁で興味本位に冷やかしただけと覚えている。
1987年の北海道旅客鉄道の発足に際しては、旧旭川鉄道管理局管内の共済組合事業を承継する「きょくてつ産業」が設立され、きょくてつストア遠軽店として営業を継続したが、売上の不振から1996年10月20日を以て廃業した。赤い屋根の建物も撤去され、跡地は駐車場となっている。

[Data] NikonF2A+AiNikkor28mm/F2.8 1/125sec@f11 O56filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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コメント

感謝です(^-^)

トラックバックさせていただきました。

写真もさることながら、当時の背景が手に取る事ができる解説で、食い入るように読んでおります。

北海道の鉄道主要駅として、遠軽駅を応援したいものであります。

  • 2014/04/30(水) 05:30:19 |
  • URL |
  • 研究★室長 #TMsUUXkw
  • [ 編集 ]

Re: 感謝です(^-^)

コメント・TB、ありがとうございます。
Websiteも拝見させていただきました。
北海道とは、やはり旅するところですね。周遊券の無くなって、私のような鉄道と徒歩の鉄道屋には巡り難くなってしまいましたけれど。
70年代からの遠軽を知る身と致しましては、現在の惨状(敢えて「惨状」です)には決して大袈裟では無しに目眩を感ずる程です。
稚内のごとくに必要最小限に再構築されるのにも遣る瀬ない気はしますけれど、空疎な空間ばかりの目立つここには切なさばかりが募ります。

  • 2014/05/01(木) 00:22:19 |
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  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

こんにちは
現在の遠軽駅からすぐの、ついこのあいだまで貨物列車の定番撮影ポイントだった歩道橋下の踏切(遠軽神社の真正面)のところに、
JAえんゆうストアその倉庫があります お魚のいいものが入ってるので時々利用しますが
記事によると貨物用地の奥・・・というから、おそらくこれが当時の国鉄ストアの場所・・・・なのかしら?
お写真の向こうにスキー場が見えますね この風景 今も変わってないですね

  • 2014/05/01(木) 16:05:48 |
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  • Jam #-
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Re: タイトルなし

こんばんは。

エーコープのところは昔も農協の倉庫だったはずです。もしかして建物自体も同じかも知れません。
そこの物資部へは一度しか行ったこと無いのですが、その少し手前、今のイト電商事の線路側あたりだったと思われ、木造の小さな建物と記憶します。今は多分ここも駐車場でしょうか。
遠軽は駅構内もそうですが、周囲もすっかりスカスカな感じになってしまいました。
駅前移転後の国鉄ストアも眺めるばかりで、必ず立ち寄っていたのは駅蕎麦屋に少し歩いたドラマキ屋でした。


  • 2014/05/02(金) 00:14:08 |
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こんにちは

イト電の線路側あたり 今は営業していないレストラン(遠軽町も出資してたと記憶 このレストランに鉄道会社かかわってたのかしら・・・経営者がころころかわってましたけど)と、確かにその駐車場になってますね
このあたりみんな駐車場=空き地が多いですねえ
ドラマキやさんはまだあります(^^)

こないだ息子ががんぼう岩の上から写真撮ってたのですが 転車台だけがぽつんとあって なんだかさびしげでしたねえ

  • 2014/05/07(水) 18:47:10 |
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  • Jam #-
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Re: タイトルなし

こんばんは

はい、そのカットはブログに拝見しておりました。
それはそれで小さな駅になるのでしょうが、現在の輸送に必要なだけの規模に再構築が叶うなら感じない寂しさと思います。
街中の駅ですのに、構内にも周囲にも空間ばかりが目立つせいですね、きっと。
かと云って、稚内のごとくに片側ホーム一面だけも、市内電車の電停然として何ともやるせない光景ではあります。
ドラマキ、久しくお目にかかっていません。

  • 2014/05/08(木) 02:18:30 |
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  • 2014/04/30(水) 05:19:55 |
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