"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

遠軽機関区 (石北本線) 1971

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蒸機撮影に定番のジャンルだった「機関区詣」には幾度も往ったけれど、あまりまともな写真は手に出来なかった。
事務室で記帳すれば黄色い腕章なり安全帽(ヘルメット)を渡され、後は比較的自由に構内を歩けるのがほとんどだったけれど、そこは基本的に24時間稼働している輸送の現場であるから、機関車は必ずしも希望する位置に整った姿で止まっていてくれるでは無いし、庫の中ならば満足な光線の得られるでも無い。なんとか工夫して画角を見つけようとはするものの、足早にスナップして歩くのが関の山で、結局のところ「構内風景」がフィルムに記録されるのだった(もちろん例外はある)。 寧ろ、間近に機関車の鼓動を感ずるのが「機関区詣」の楽しさであり、その全てだったように思う。

駅本屋から大分に歩かされる機関区の多い中で、遠軽の庫は乗降場の指呼の間に在り、駅員に断りを入れて構内通路を辿ればすぐに往き着けて、少しの空き時間にも訪ねられた。
半円に至らない庫内14線の扇形庫は、配置が戦後まもない時期以降の配置が40両を越えていたと聞けば手狭にも思えたけれど、それでも1954年の台風マリー(同年台風14号-洞爺丸台風として知られる)にて倒壊した木造庫の改築の際に拡張されたものと云う。翌1955年10月に完成した現行の鉄筋ブロック造りは機能優先にて、些か情緒には欠けたように思う。扇の要に置かれた転車台は、1957年のキハ22配備に際して20メートル級に交換されていた(D51形蒸機は18メートル級に載れたのである)。
この1971年当時に、配置はD51の7両に9600の11両まで減っていたけれど、旭川からのD51や北見からのC58の入込みもあり、庫内は気動車も含めて常時満線に近かったと覚えている。DD51は石北トンネル区間の補機の一部仕業が達していただけだった。
1972年10月改正にてそれが本務機として北見まで進出し、翌年に常紋越えの補機仕業もDE10への置替が進むと、名寄本線運用だけの残された構内の煙は寂しくなり、それら9600はゼブラマーキングが大半だったこともあって足は遠のいてしまった。

扇の外側、つまりは扇形庫の裏手が東ないし西を向いていれば、朝夕の低い光線が内部まで差し込んでくれるのだが、背後に台地の縁を背負ったここではそうは往かない。頼りは入口からの外光だけだが、内外の輝度差はフィルムの有効露光域を軽く越える。天窓から床に差し込む光が少しばかりのアクセントになろうか。

[Data] NikonF PhotomicFTN+P-AutoNikkor50mm/F2 1/60sec@f5.6 NON filter   Tri-X(ISO400)  Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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