"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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[番外編13] 糠平 (士幌線) 1983

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士幌線には、1978年末からの末端区間での自動車代行輸送を書いておかねばなるまい。[番外編 11] 糠平 (士幌線) 1980 の補遺でもある。

国鉄が、巨額の赤字の積み上がる糠平-十勝三股間の列車運行を休止しバス代行輸送に踏み切ったのは、それによる影響が当時に想定利用者の三股集落に居住の5戸14人に留まったゆえである。国鉄に前例の無い措置には違いないけれど、それは本社や北海道総局には勿論のこと、所管の釧路鉄道管理局にしても軽微案件であった。鉄道施設の全てが物理的にも法規上にも維持され、輸送実態も搬器を除けば変わることが無い。よって、これは釧路局の局長達および関係部署の通達にて処理され本社の関わることはなかった。事実、そこでの資料や統計には記録されていない。全国版の時刻表に反映されず、当初に道内版にすら記載の無かった所以である。
本来ならば、糠平に達する日常利用者か、たまたまに訪れた旅行客以外は知り得ず、且つ知らずとも良い措置だったのだが、これに興味を抱いた記者による新聞報道にて全国から衆目を集めるところとなったのだった。
なお、その要因となった最盛期に100人を越えていた三股からの人口流失は、輸入材に対抗し得なかった国内林業の衰退ゆえであるが、1974年に国道273号線の三国トンネルが開通し糠平からの砂利道が舗装道路に改修され、残った林業従事者の自動車による通勤が可能となったためでもある。

この区間の搬器が鉄道車両から道路上のバスとされた1978年12月25日を以て、幌加、十勝三股からは要員が引上げられ(幌加への配置は運転要員だけだった)両駅は要員無配置駅となった。路面からも位置的には利用可能ながらの駅舎の放棄は、老朽化していたそれの維持管理を回避したものであろう。乗車券販売はバス代行運行とともに上士幌タクシー有限会社への簡易委託とされ、バス乗務員が販売した。硬券だったそれに対しては、通常のダッチングマシンを運転台に紐で固定して印字していた。
代行化と当時に道路上に置かれたスキー場入口と幌加温泉入口は形態こそバス停留所ではあるが、釧路局の開設した仮乗降場の扱いであった。当然に営業キロ程の設定は無く、乗降に外方駅から(まで)の乗車券を要した。
また、列車を引継いでの新聞輸送を1984年2月改正まで行っていた。

バスには詳しく無いので形式まではご勘弁願うが、代行運行を受託した上士幌タクシーはこれに際して、登録番号89の日野自動車製小型バスと、まもなくに登録番号644のこれも日野製マイクロバスを導入、輸送波動により使い分けていた。事由は不明だが、登録番号89のバスは、この1983年までに登録番号258のやはり日野自動車製小型バスに取替えられ、マイクロバスも1986年には登録番号1110の三菱自動車製に更新された。これら車両はリース会社を通じての中古車の調達だったと思われ、それゆえの車両交替とは推定する。

鉄道代行とは云え乗合自動車を沿道の丘に登り待ち受けるバス趣味は持たないので、駅頭でのスナップをご容赦願いたい。後方の駅名標は代行化に際して、この位置に建植されたものである。
写真のとおりに、ここに運用された自動車の登録番号標は自家用を示す白地、即ち「白バス」であった。これには門外漢にて承知しないのだが、営業車としなかったのは『道路運送法』(1951年6月1日法律第183号)で自家用車による有償運送の禁止を定めた80条(当時)の但書き-公共の福祉を確保するためやむを得ない場合-を適用したものだったのだろうか。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4S (exposure data is unknown) Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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コメント

三又代行バス

ははあ、このバスですね。
一時は運転士個人のプロフィールも含め旅雑誌を賑わせましたね。
最初に乗ったのは1981年の夏。
幌加温泉に泊まるに、迎えに来るというから幌加駅で降りるのかと思いきや、
「幌加温泉入口だよっ」とバス停を指定されたのも思い出します。
その後は1984年、1987年でしょうか。同じ運転士がだんだん年を取っていくのが分かりました。

そんな簡単な手続きで代行化されたとは初めて知りました。
雪を抱いた大雪山を仰ぎ見る様な、素晴らしい景観の鉄道だったようですね。
三又の休止駅舎も印象的でした。

  • 2014/05/02(金) 23:35:42 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: 三又代行バス

糠平へ赴く度に見かけてはいたバスですが、
こうしてスナップに収めたり、ドライヴァと話したりはしたものの乗ってはいませんでした。
鉄道の無いところへは往かない、と云う原則を貫いた訳でした。
今思えば、少々勿体無いことをしたかも。
これが、白バスだった理由にお心当たりはありませんでしょうか。

  • 2014/05/06(火) 00:05:02 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

こんばんは
1986年秋に廃止路線を少しでも乗っておこうと道内をまわり、
このバスにも乗車しました。
糠平から乗り継ぎは最近で言うところの「同業者」が多数で、
「この人数ではマイクロバスだと乗り切れないから」と
258が登板となったような記憶がぼんやりと思い出されました。

高校卒業直後の安月給では切符代を捻出するのがやっとで
フィルム代をケチってあまり撮影しなかったことを今頃になって後悔しています。

  • 2014/05/07(水) 21:58:12 |
  • URL |
  • kattsu-mqc #ElJgphU6
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは。いつも、ご訪問ありがとうございます。

87年春の線路廃止直前には、その御同業の皆様が大挙押し掛けて、前代未聞の続行便まで出たらしいですね。
この83年頃には、平常時には普通乗用車(タクシー)やらワンボックスワゴンで間に合ったと聞き及びますに。
十勝三股へは蒸機当時の72年にロケハンで乗って、結局それが最後でありました。

  • 2014/05/08(木) 02:30:33 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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