"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

札幌 (函館本線) 1999

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貧乏旅行の頃、駅蕎麦は馳走の部類だった。持参の固形燃料で湯を沸かしての即席麺や駅前商店で買い込む菓子パンの毎日に、それは立喰いでも上等だったのである。
何を以て「駅蕎麦屋」と定義するかは意見の割れるところだが、やはり第一義的には「日本国有鉄道旅客構内営業規則」(1949年7月27日公示第75号)の第4条に準拠した[構内旅客営業]の店舗とすべきだろう。同規則の1954年の改正にて追加された[構内公衆営業]に基づくものと相違は、国鉄による監督・指導を常時受けるところにある。これは構内における供食が国鉄の旅客輸送上に不可欠との認識から本来に直営とすべきを事業の専門性に鑑みて部外に依拠したに過ぎず、駅業務と一体と見なされるゆえである。よって本来の駅蕎麦屋は乗降場ないし待合室などに、専有面積の関係から立喰い主とした形態を採った。

この旅客乗降場での営業は、日常に観察可能な東京圏には比較的多くを確認するものの、地方幹線上の各駅では絶滅の一歩手前に在る。マクロには生活感覚の変化や鉄道旅客の減少があり、市中飲食施設の充実もあろうが、そこに着発する列車が指定席主体の特急列車ばかりとなり中近距離区間の頻発運転のそれへの乗車に旅客が乗降場に滞留することの無くなったゆえだろう。
道内においても、1971年度末時点にて24駅を数えたものが現在では函館・札幌・旭川に残るのみである。ただし、最近に函館のそれの営業は実見していない。時間帯のズレているのだろうか。網走も本屋に接した乗降場に所在するが、本屋外のラッチ内設置は待合室の狭隘ゆえにて、実態はラッチ外の遠軽と変わらない。
乗降場営業を廃して待合室へ移転した例を含めて、そこでの営業駅を数えても11駅に過ぎず(数え漏れがあるかも知れない)、相当数が廃業したことになる。倶知安や稚内の例は記憶に新しい。

蕎麦の汁は東京から北へ向かえば次第に色濃くなり、北海道のそれは蕎麦の見えぬ程に黒い。更科・砂場・薮と江戸蕎麦の老舗も食べ歩いて、その鰹出汁は実に美味いのだけれども、やはり北の育ちにはこれだと思ってしまう。夜行で到着した初秋の朝の寒さに思わず搔き込んだ北見駅や、氷点下10度以下だったはずの富良野で湯気が髪の毛や眉に凍り付きながらの味は忘れられないでいる。
日本食堂と札幌立売商会が分担して各乗降場で営業していた札幌でも、夜行乗車前の腹ごしらえに随分と利用させてもらい(主に札沼線用だった第五乗降場での営業には記憶がない)、そこには同じ思いの多くの旅客が集っていたものだった。1988年の高架駅化に際しても第二と第三乗降場にて札幌立売商会が、第一、第四、第五乗降場で日本食堂の後身であるにっしょく北海道が営業、この分担は地平駅でのそれをそのままに引き継いだものだった。
しかしながら、ここに於いてさえも撤退の動きがあり、2007年に北海道フードサービス(旧にっしょく北海道)が駅蕎麦営業から撤退し札幌立売商会に一本化されるも、終着列車の多く出発も小樽方面が大半だった第一乗降場の店舗はこの際に廃止され、2012年には主に札沼線発着にて営業時間も短かった第五乗降場の店舗も姿を消してしまった。

写真は札幌駅 5番線にて発車を待つ6004列車<北斗星4号>。
この第三乗降場を千歳空港連絡快速に譲り、有効長を延伸した第二乗降場着発となった今では失われた光景である。もっとも、例え存続していたとしても入線に人だかりの出来る昨今には撮れたもので無さそうだ。
第三乗降場の駅蕎麦屋は最近には卓に椅子まで用意されて「店舗」然としている。これも失われた風情とでもすべきだろうか。

[Data] NikonF5+AiAFNikkor ED180mm/F2.8D 1/30sec@f5.6 NON filter Ektachrome Professional E100VS [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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