"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

塩谷 (函館本線) 1985

shioya_06-Edit.jpg

鉄道省が1924年に発行したウィンタースポーツのガイド本「スキーとスケート」については、以前にここへ書いた。
それを通読していて驚いたのは、小樽周辺のスキー適地の紹介に塩谷駅の名が登場していたことである。それとは無縁と意識していただけに意表を衝かれたのだった。
スキーの導入期からそれのゲレンデスキーに移行する戦後の時期まで、今はトレッキングの対象として知られる標高629.2メートルの丸山が、小樽市街地の高等商業(現商科大学)裏手斜面から伍助澤開拓地を経て、その東斜面に取り付き、頂上から北斜面を塩谷に向けて下る、或はその逆経路がスキーコースとされており、塩谷は乗降駅だったのである。頂上北側に標高差200メートルに渡り広がる斜面や麓の現塩谷4丁目付近の緩斜面が滑降の好適地と紹介されている。コース上にスキー小屋などの施設は無く、登坂と滑降にほぼ一日を費やす行程とある。駅裏手に1912年に操業した北海瓦斯(現北海道ガス)の工場が斜面からは良い目印となったことだろう。

北海道鉄道(初代)は蘭島から小樽中央(現小樽)への経路を、標準勾配の20パーミルを介在させてもなお内陸に選定した。一部には、湾岸の通過が不漁に繋がるとした鰊漁網元による強硬な反対運動が伝えられるけれど、実際にはそこに連続した断崖地形に関わる隧道建設を回避したものだろう。これにて海沿いの塩谷村の中心集落から外れた山腹の開拓地に設けられた停車場に塩谷の名が与えられた。そこは、標高の50メートル程度ながら前山に遮られて海面を望めない山間の駅だからスキーの基点としても然程に違和感は無い。
余談だが、ガイドには丸山よりさらに奥の通称の遠藤山から毛無山を経て蘭島へと滑り降りるコースも見られ、この海水浴駅に冬にはスキー客の在ったことになる。

丸山から続く緩斜面の開拓地は、既存集落から至近の距離にあり、この1903年には鉄道まで通過したのだから恵まれた位置と云わねばなるまい。さらには時期を同じくして小樽市中心部から直接に連絡する道路が開削されていた。軍事道路と呼ばれた通行路である。石狩湾に面した小樽からの有事の際の連絡路として軍部が建設を急いだもので、その目的から敢えて山中を経路とした急造の道路は一般運送には使い物にならなかったとも云われているのだが、ここや伍助澤開拓地から小樽への人馬の通路には十分に機能したことだろう。現在の北海道道956号小樽環状線はこれの拡輻整備による。

写真は於多萠の峠を越えて塩谷に接近する102列車<ニセコ>。見えているのが塩谷の上り遠方信号機である。
この3月の改正で運用受持区が札幌運転区へと替わり、4両組成が所定となっていた。小樽築港機関区の運用は改正されなかったので、DD51の重連仕業はアンバランスだった。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/500sec@f8 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/632-099ad7ec
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。