"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

細岡 (釧網本線) 1981

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細岡には幾度も降りた。数えれば塘路を上回るだろう。
遠矢から岩保木山の裾を辿り、その北端を回った線路はここで中丿沢の釧路川合流部の鳥通(トリトウシ)湿原をR=362Mの曲線を描く築堤で渡っていて、それを辺りの丘陵から容易に見下ろせたし、その背景には宮島岬まで続く釧路湿原と遥か雌阿寒・雄阿寒までを見通す景観が得られたからである。そこまでその先に一戸の開拓農家への道路の通じていたのも有り難かった。

1927年9月15日の釧網線の標茶までの開通に際して設けられた停車場は、後背地拓殖への利便を図ったものであろうが、入植は僅かに留まり、戦後まもなくに米軍の撮影した空中写真(※閲覧はダブルクリック)には、駅周辺にはおそらく開拓農家と思われる一戸に鉄道官舎が建つ様子が見て取れるのみである。達古武川や中丿沢上流への入植も数戸であったろうから、釧網線各駅中で旅客・貨物ともに扱い量は低く推移して、1973年には早くも旅客、貨物に手・小荷物を扱う営業フロントは閉じられていた。
初めてここに降りるのはこの体制の頃だが、連査閉塞の運転要員は引続き配置され、簡易委託の乗車券類販売も駅前に引き受け手の商店などの無く、これも本屋窓口を利用していたから外見は通常の駅と変わらなかった。
冬には石炭ストーブが赤々と焚かれ、駅務室で茶などを馳走になったものだったけれど、1984年2月改正での貨物列車の削減により美留和や止別とともに棒線化されて要員が引上げられ、委託販売も打切られてしまった。それでも、夏の季節に無人となった駅舎の窓を開け放し、湿原の爽快な風力に野鳥の囀りを聴いた至福の時間は忘れられない。

鶴見台と呼ばれていた現在の細岡展望台への下車駅でもあり観光客の利用もあっただろうが、出会ったことは無い。1988年にその近傍へ釧路湿原駅が置かれれば、老朽化に駅舎は93年にログキャビン風に建替えられたとは云え、全くに忘れ去られた駅である。旧上り乗降場(釧路方面行き)は植生に覆われ、そこで列車行違いが行われたとは俄に想像し難い現況ではある。

降雪を纏った湿原を往くのは681列車。斜里から釧路(操車場)への普通貨物Aである。
釧網本線貨物は、この当時の定期4往復/臨時2往復が、84年2月改正で定期3往復/臨時1往復に減ずる。混合列車も全廃されたから機関車屋には大打撃だった。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor180mm/f2.8S 1/250sec@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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