"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

礼文 (室蘭本線) 2000

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世の中がオウム真理教なるカルト教団の引き起こした一連の事件で騒然とし、その余韻の覚めやらぬ頃である。礼文駅前の豊年旅館の女将に予約電話を入れて断られたことがある。警視庁より指名手配された一部信徒の逃亡が報道されており、女将曰く「怖くて客などとれない」と云うのだった。鈴木旅館が廃業し、民宿礼ぶんげは未開業の頃だったから、これには困ってしまい、一見ではないことを伝え、もし当日に訪れて怪しいと感ずれば駐在に電話してくれて良いとまで述べて説得した覚えが在る。もっともこちらの風体も、長髪に髭面と十分に怪しかったのではあるが。

この頃に豊年旅館は、既に旅館とは名ばかりで年季の入った女将がひとりで留守居しているような営業だったのである。八室とされていた客室も二階は使われておらず、いつも同じ部屋に通されたから一階もそこしか稼働していなかったように思う。女将の歳のせいか掃除も行き届かないのだが、撮影の現地での一泊には十分な宿だった。未明に起き出せば、朝食がわりの握り飯を持たせて、見送ってくれたものだった。
あまり詳しくは聞けなかったのだが、戦後から1970年頃までは、駅前の商人宿と機能する傍ら海水浴シーズンには休憩にも混雑して「目の回る忙しさ」であり、集落の人口も多く食料品に雑貨の豊年商店に、豊年食堂も営業していたと云う。確かに、蒸機撮影で68年の夏にここを訪れた先達の「夏季は海水浴客ばかりで満員」との報告を何処かで読んだ覚えがある。
そのように蒸機の時代には写真の鉄道屋に高名な宿だったはずなのだが、女将にすればあまり印象の無いらしい。「写真の人も泊まってったね」程度である。この長万部-東室蘭間は道内では狩勝峠区間に次いで無煙化の先行した区間ゆえ、小沢駅前の武田旅館のごとくに蒸機ブーム末期に向けて撮影者の押し寄せたではないからだろうか。

礼文華山トンネルへの築堤された区間を目当てに通った礼文ではあったけれど、肝心のそこが樹林に覆われて見通しの利かなくなれば足も遠のく。その間に廃業してしまったと聞く豊年旅館は、建物だけはそこに残り、特急で通過する度に眺めては思い出している。女将は存命なのだろうか。

写真は、その大築堤を下る3列車<北斗星3号>。2往復化されてまもない頃である。この後数年で、編成を隠す程に築堤の樹木が成長してしまう。
10月下旬のこの日、直後に天候は急変して降雪となり数センチの積雪を見た。

[Data] NikonF5+AiNikkor105mm/F2.8S 1/250sec@f4 C-PL filter Ektachrome Professional E100SW [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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