"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

広内信号場-西新得信号場 (根室本線) 1993

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以前にも書いたけれど、北海道における国鉄スキー臨時列車の運転規模は内地に比すれば極めて小さく、それの隆盛を極めるのは、寧ろ北海道旅客鉄道への承継後の1990年代のことであった。その頃に高速道路の開通していなかった石勝線沿線の新興スキー場であったトマムやサホロへ向け始められた、専用編成による航空機との連携輸送は、勢いを駆ってニセコ方面にも及んだ。そして白眉は横浜からトマム・新得へ遥々と運行された特急寝台<北斗星トマムスキー>であろうか。それは国内最長距離運転のスキー臨でもあった。

1988年冬臨にて下りのみに89年1月9日と2月13日の2回が設定の、6003列車を沼ノ端-札幌間を運休して行き先をトマムに変更した試験的な最初の運行については、落部 (函館本線) 1988 に追記しているので繰返さない。
翌1989年冬臨期1〜2月の設定では、6003列車の89年3月11日改正での定期格上げにより、88年夏臨期に<カートレイン>運行に引かれた予定臨9009・9008のダイヤが恵比寿-沼ノ端間で利用され、首都圏側発着が東海道貨物線(品鶴線)経由にて横浜に改めての9010-9009-9011・9012-9008-9007としての運転であった。
尾久区の予備車にて組成の定期<北斗星>と同等設備の11両編成(定期列車に1両の減)一組運用は、下り運転の前日に尾久を出区し上野から東大宮に向かい、折返して山手貨物線を運転して品川運転所に収容、運転当日には品川より一旦恵比寿に送られ、折返して大崎から蛇窪分岐より品鶴線・横須賀線運転線を運転、横浜を通過した保土ヶ谷で折返していた。上り運転後の帰区回送も同経路であるが品川には入区せず、大崎から東大宮に直行した。下り運転の際の一旦の恵比寿回送は、これによる編成方転を回避するためである。
<カートレイン>ダイヤの転用により前年運転同様に東北線-海峡線運転は青森信号場経由であり、トマムから新得までの回送も同じである。よって、函館・室蘭線上では89年3月11日改正にて全て青森経由とされていた定期<北斗星>と方転編成となっていたが、新得と札幌運転所の石勝・千歳線経由の回送により同所入区の編成方向の揃えられる妙味には感嘆したものだった。なお、このシーズンからは続く90年春臨期の3月にも設定がなされ、上下7往復(7回)の運転であった。

そして、90年の冬臨設定から東日本旅客鉃道による次世代寝台客車を銘打った試作車-3両、所謂「夢空間」車が組成されるようになると、上記の運転経路には趣味的に興味深い事象を生じていた。これについては追記へ記したので興味のあればご覧頂きたい。

写真は広内陸橋への築堤を上る9062列車。下り運転後の新得から札幌運転所への回送列車である。
<北斗星>編成の狩勝越えとなれば、是非とも撮りに往きたい列車ではあったのだけれど、89年の2回は勿論のこと、90年の1月から3月の7回、91年以降の8回ないし10回の毎週末運転にも、この頃には本業の撮影がかち合ってしまい、ようやくの対面は93年正月開けのことになる。感材にリヴァーサルフィルムを持込んだ最初と記憶し、F4カメラには Kodachromeを仕込んでいた。
88年冬臨、89年冬臨と重連だった機関車は、90年冬臨期からは<カートレイン>仕業所定の一台運転に変わっていたのは些か物足りないが、回送でも掲出していたトレインマークも無くなったのは、あまり好まぬデザイン故それはそれで好都合だった。
この列車の運転は、追記した回送区間の運航経路ばかりでなく、設定毎に尾久区の需給状況(捻出可能な予備車)に左右された組成形式に本州内の牽引機関車、展望食堂車やラウンジ車の営業なども興味の尽きない。
それらについては、いずれWebsiteへのとりまとめるつもりで居る。

[Data] NikonF4s+AFAiNikkorED180mm/F2.8D 1/125sec.@f4 Fuji SC42 filter PKR Edit by PhotoshopCC on Mac.


90年冬臨/91年春臨設定
夢空間車の海浜幕張駅前での展示を終えて尾久区に帰区した際の車両方向は他の24系客車同様に前位が東京方である。よって、これの組成は編成の青森方なのだが、この設定期においては編成順位を、定期<北斗星>とは逆にこの青森方から振っていた。その事由は回送を含む運転経路にある。前日の尾久区から品川運転所への回送は前述の89年冬臨期と同様だが、運転当日にはそのまま品鶴線・横須賀線運転線を保土ヶ谷を改めての逗子へ向かって、一旦の恵比寿回送が省かれながら、上り運転後の帰区回送経路には変更がなされず、帰区編成の方転には下りの青森信号場を一旦の青森入構にて対処していた。これらは偏に編成後位の展望構造食堂車-オシ25 901を可能な限り最後部車として運転するためである。これにて下り運転では、横浜-青森/函館-トマム間で(ほぼ全区間である)、上りでも函館-横浜間で後部展望を旅客に提供出来たのだった。
尾久在姿での青森方からの順位は、旅客案内上に他列車と同様に下りの横浜で神戸方に、新宿、大宮で東京方に、上りのトマムで苫小牧(札幌)方に揃えるためであった。上りの海峡・東北線内で編成向きが定期<北斗星>と同方向となり乍らも順位の反転は、その区間での乗車客がいないので無視出来たのである。

91年冬臨/92年春臨設定
91年3月16日改正にて尾久区の24系編成が方転した関係にて、再び運行前後の回送経路の変更が行われる。運行時の展望食堂車の組成位置を前年同様に確保するためであり、下り運転前日の品川あて回送を東大宮折返で山手貨物線・品鶴線を鶴見まで運転し、ここから東海道線を品川へ折り返しとした。これにて品川入区は(東海道線で)東京方前位となり、運転当日にはそのまま品鶴線を運行すれば良かった。また、東北線内の東京方前位で到着する上り運転後には、逗子からの帰区回送を品鶴線-品川折返-山手貨物線として編成を方転させたのだった。

92年冬臨/93年春臨設定
運転前日の回送経路の東大宮から鶴見までを武蔵野線経由とした。

93年冬臨/94年春臨設定
首都圏側発着を新宿とした関係で、尾久から品川への送込みは、再び東大宮折返しの東北貨物・山手貨物線に戻される。方転編成で到着の上り運転後の帰区回送は、新宿から大崎(品鶴線)鶴見折返(東海道線)品川折返のデルタ配線の運転として方転を解消した。
以降、95年冬臨からの新得延長を経て、最後の運行となった2002年春臨運転まで、この経路が維持された。


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