"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

広内信号場-西新得信号場 (根室本線) 1996

hirouchi_SS_06-Edit.jpg

倶知安 (函館本線) 1978 から続く

1970年代、冬期の渡道に上野からの列車に乗れば、そこには必ず少なからぬスキー旅客が認められた。郡山に福島、白石、盛岡など思い思いに下車して往くのだが、共に青函を渡る一群も存在した。早朝の函館で、<北海>へと乗り込めばニセコ方面への、<おおぞら>へなら十勝岳方面へのスキー客と知れた。その倶知安や富良野など、特急や急行の着発時にはスキー客で混雑し、待合室が彼らのカラフルなウェアで華やかだったのを思い出す。その利用の多い駅には待合室やホームにもスキースタンドの用意されていたものである。
道内を撮影地へ急行や普通列車で移動していても同席することの多かったと記憶するけれど、夜行急行に見かけなかったのは、当然に存在した札幌中心の道内流動は比較的短距離に限定されて、それを利用するまでもなかったからだろう。
道内でのスキー客輸送には、首都圏や関西発着のごとくに大規模な、ましてそれに常態の往路夜行としたスキー臨設定は見られなかった。戦前に鉄道省は北海道を送客先と認識し続け、戦後の国鉄はスキー場の地理的配置から、総じて道内発着のスキー旅客流動に深く関与することはなかったと云える。

戦後においては、前回記事に記したニセコ方面への<ニセコ銀嶺>の他には、1962年12月からの札幌-富良野間<北の峰銀嶺>、1965年からの室蘭-新大滝間(後に喜茂別)<いぶり銀嶺>、1966年からの札幌-上志文間<上志文銀嶺>を定例とする程度で、しかも新大滝と上志文着発は普通列車であった。
それぞれが1978年シーズンより<銀嶺>を<スキー>に改めて(*1)設定の続いたものの、いずれも1984年シーズンを最後に姿を消している。最長組成でも富良野行きの3両にて、もともと然して大きくは無かった需要の低下もあるが、末期には<ニセコスキー><富良野スキー>ともに全区間が定期列車への併結(*2)でもあり、実質的にその増結車同然であったゆえ、それで事足りるとの判断だろう。
既に内地からのスキー客の全ては空港からはバスでゲレンデに直行し、道内客は自家用車に移行の進んで、ニセコ、富良野地域と云えど鉄道の出番はなくなっていたのである。

この時代に替わって注目されたのが、当時に鉄道の開通しながら道路の未整備だった石勝線沿線地域である。1983年に開設のトマムスキー場、1980年からの狩勝高原スキー場に向けて、1983年シーズンより札幌-新得間に急行<石勝スキー>2往復が設定されている。特に、狩勝高原スキー場がサホロリゾートスキー場に改められた1985年シーズンからは、内1往復が、スキー場開発事業者と国鉄による共同運行を前提とした専用編成使用の特急列車<アルファコンチネンタルエクスプレス>に立替えられ、これは航空機との連携輸送により本州方面からの旅客取込みを意識したものとされた。この従来の国鉄には考えられなかった輸送方式は成功を収め、スキー人口が戦後最大規模へと向かう時期を背景に一旦は撤退した富良野、ニセコ方面にも拡大されて往き、道内におけるスキー旅客輸送は北海道旅客鉄道発足後の1990年代にかつてない隆盛を見せるのだった。
(この項終わり)
................................................................................................................
(*1) <北の峰>も<富良野>とした。
(*2) <ニセコスキー>は1984年2月改正での<らいでん>廃止により、それの格下げの定期普通列車への併結になっていた。

=主要参考文献=(本文中に記したものを除く)
鉄道とスキーと山 : 渡辺公平 (鉄道ピクトリアル 通巻291・293・294号所載) 鉄道図書刊行会 1974
雪跡-小樽スキー連盟100年記念誌 : 小樽スキー連盟 2013
北大スキー部70年史 : 北海道大学スキー部OB会編 1982
北の山 : 伊藤秀五郎 茗渓堂 1935
倶知安町史 : 俱知安町史編纂委員会編 1951
ニセコ町百年史(上巻) : ニセコ町百年史編纂委員会編 2002

この1990年代に忘れてならないのが、海峡線の開業を機会とした首都圏発着や奥羽地区からの直通寝台列車の運行である。スキー臨時列車史上に例の無い長距離運転となったこれらについては、いずれ別項を立てたい。
写真は広内陸橋を下る9011列車<北斗星トマムサホロ>。
1994年シーズンまでのトマム着発の<北斗星トマムスキー>を、この95年シーズンより新得に延長していた。列車名称の変更はそれによる。もっとも、トマム行き当時より新得まで回送されていたから実態は変わらない。編成後部には夢空間車-3両が組成されている。

[Data] NikonF4s+AiNikkor105mm/F1.8S 1/1000sec.@f5.6 Non filter PKR Edit by PhotoshopCC on Mac.

関連記事

コメント

この牽引機が重連でないというのは新鮮ですね。
構図などいつも参考にさせていただいております。

  • 2014/03/18(火) 21:08:30 |
  • URL |
  • 影鉄です #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは、影鉄さん。

1988年冬臨期からの設定当初には<北斗星>系統そのままの重連仕業だったのですが、
山手線大崎-室蘭線沼ノ端間が速度の低い<カートレイン>のダイヤに乗るようになって、
夢空間車も組成され始めた1990年冬臨期からは1台運転に変更されていました。
云われてみれば、北斗星の列車標を掲げての1台運転はこの列車だけでしたね。

  • 2014/03/19(水) 00:46:32 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/612-39646d9a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。