"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

倶知安 (函館本線) 1978

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倶知安 (函館本線) 1976 から続く

国鉄北海道支社札幌鉄道管理局は、1961年12月17日の「ニセコひらふスキー場」(*1)の開場に際して、その至近の下車駅となる比羅夫の北海道鉄道(初代)以来の駅舎をスキーロッジ風の観光仕様に改築し、臨時準急<ニセコ>を札幌-狩太間で毎週末に運転、比羅夫からスキー場には国鉄自動車の運行を開始したのだった。

倶知安までを準急、以遠を普通列車とした<ニセコ>の運転は、週休二日制の無い当時には札幌を土曜日の昼過ぎに出て、狩太で折返し日曜夕刻に札幌に帰着する苗穂機関区のキハ22の2両組成1組による仕業とされた(土曜下り/日曜上りは回送)。
これは、3月末までの運転予定であったのだが、それを待たずに1962年2月1日より逆時間帯に1往復を増発の上で、準急<ニセコ><らいでん>の定期運転となった。北海道における気動車準急の伸長期にあたり、用務客需要も相当に存在したのであろう。よって、臨時列車は1962年のシーズン以降には札幌を土曜朝発、日曜夜帰着の時間帯に、やはり狩太着発の<ニセコ銀嶺>に立替えられた。1968年10月改正ではこのスジも<らいでん>として定期化されるのだけれど、<ニセコ銀嶺>の愛称はそれに全区間併結の臨時急行として残された(*2)。
また、1962年シーズンに先駆けての10月6日からは胆振線に週末の臨時準急<いぶり>を運転して室蘭方面からのスキー客輸送に対応した。これも1963年10月に定期化されている。

国鉄自動車の列車接続運行についてを、この記述に際して調べてみたのだけれど、路線開設の公示はなされていないのである。札幌鉄道管理局の局報を閲覧出来ていないので推測だが、局長達による臨時路線若しくは貸切運行の形態だったと思われる。戦後まもなくの機動運営の当時はともかくとしても営業拠点を持たない倶知安地区での運行は、まだ冬期運休路線のあった羊蹄線関係喜茂別支所の要員・機材を一時転用したものだろうか。仮設であったと思われる車庫に検修場の位置など詳細は明らかに出来なかった。四輪駆動ボンネットバスの10メートル程の車長とは云え、それが比羅夫駅への狭い急坂を行き来したとは俄には信じ難い。
スキー場には1962年シーズンより倶知安駅からの道南バスが乗入れ、1963年からは狩太駅接続のニセコバスも運行されたゆえか、国鉄によるバス運行は1965年のシーズンを最後に取りやめられる。スキー客の乗降から駅前には数軒の民宿が営業したと伝えられる比羅夫の賑わいは、僅か数シーズンにて終わった。(この項続く)
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(*1) この際に「ニセコ比羅夫スキー場」を改称。
(*2) 札幌-江別間を単独運転の普通列車として延長した時期もある。急行区間の全区間定期列車併結は、実質的にそれの増結車と云える。

写真は倶知安構内北側の鉄道宿舎をかすめて走る905D<らいでん3号・いぶり・ニセコ銀嶺>。後追いである。
この頃、後部2両の<ニセコ銀嶺>には、せめてものスキー客サーヴィスだったのかキハ56/27が使われていた。その前位2両のキハ22が<らいでん3号>、1両が<いぶり>である。これには次の小沢で岩内からのキハ22-2両が連結され、札幌到着時には7両編成になっていた。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.8 1/250sec@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.


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コメント

こんにちは。
前コメントの鉄道宿舎についての解説ともども、記事楽しませて頂きました。
幼少の頃から北海道の鉄道への憧れが強く、長い時間を掛けて、ようやく昨年、北海道のJR全線に乗りました。その間に失われた路線も多々あった訳ですが、子供には乗りに行くことは叶わず、深名線だけが私の記憶の中だけ、他はまだ全路線が生きています。
その、最後の初乗車の区間が、小沢〜長万部、函館本線の山の区間でした。
閑散とした倶知安駅に降り立ち、胆振線もあった賑やかなりし時代を想像したりしていました。
線路沿いの各地に点在していた鉄道宿舎、町にあるものに住めれば御の字、原野や山間部の只中に住まうことになれば、その生活の厳しさは今では想像も難しいことと思います。子供の通学や生活用品の買い出しなど、どのようにしていたのか、興味は尽きません。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

  • 2014/03/10(月) 14:59:50 |
  • URL |
  • 風旅記 #O7xVy9HA
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんにちは。レスボンスの遅くなり申し訳ありません。

私など、かつては札幌に居住し、その後の40年も頻繁に渡道していながら鉄道の全線には乗っていません。
乗車が目的でなく、あくまで撮影の移動手段のためですが、一部区間を乗っただけとか
末端の一駅間を残したままに消滅してしまった線区も在って、惜しいことをしたのかも知れません。
現行線区でも、江差線の上ノ国-江差間だけには乗らぬままに終わりそうです。

国鉄には、かつて戦後まで購買列車と云うのがありまして、つまりは荷物車や貨車に生活必需品を積込んだ
移動販売列車なのですが、これが定期的に人里離れた位置の駅や中間線路班位置まで運行されていたのです。
現地の鉄道職員向けですが、そこに集落のあれば一般にも開かれていたようです。
また、駅は良いとしても中間線路班宿舎の子弟の通学には、そこに特定列車の停車が手配されていました。
胆振線に存在した尾路遠線路班などが知られているようですが、室蘭線上に在った豊泉なども
この線路班地点に戦時下に信号場が置かれて、後に正駅まで格上げされた事例です。

  • 2014/03/12(水) 18:20:19 |
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