"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

倶知安 (函館本線) 1977

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倶知安 (函館本線) 1979 から続く

鉄道省が1924年11月15日に発行した「スキーとスケート」は、樺太を含む全国のスキー適地の紹介を主とした案内書ではあったが、そればかりでなくスキー発達史やスキー用具に技術、雪質の研究記事までも加えた総合ガイドブックであり、その意気込みを感じさせる書籍である。鉄道省はこの年、スキー紹介の短編映画「雪国の旅」も制作(*1)、全国にてこの上映を含むスキー講演会を開催し、また実際のスキー用具やポスター、写真などの展示も行い誘客に努めたのだった。
1919年9月1日の制度改正で制限の緩められていた旅客の付随小荷物にスキー用具を加えて、これの車内持込みに無賃託送を認めたのは勿論、その最初の事例は調べ得なかったのだが、乗客へ割引運賃を適用した募集団体列車や臨時列車を運転し、一般のスキー・スケートへの旅客に対する3等運賃の割引も1925年12月1日より制度化している。募集団体のスキー道具を持たない旅客に対しては現地で貸出し業務も行い、また週末ごとのリピータには、用具を現地駅にて保管するサーヴィスまでも「スキー特別一時預かり」と称して1932年11月25日より始めている。
スキー実践地にて、鉄道管理局や駅が主催したスキー講習会(教室)まで開いていたことも珍しくは無かった。

そして、鉄道省はまだ十分とは云えないスキー適地での宿泊や供食、休憩施設の設置・運営にも進出する。後に「国鉄山の家」として知られるヒュッテである。この当時としては本格的な山岳ヒュッテは、1930年に札幌奥手稲への開設をその最初の例に、1937年までに北海道ニセコ五色温泉、福島県吾妻、長野県志賀高原熊の湯、新潟県上の原、鳥取県伯耆大山へと開業している(*2)。また1932年からは、上越地区に限られたけれど沿線自治体が鉄道省の監督の下に営業する形態も出現し、土合、中里、岩原第一、同第二、布場、土樽、湯沢の7箇所が営業した。言わば、山の家のフランチャイズチェインであった。
今はあまり見られなくなってしまったが、1930年前後よりスキー旅客出発地側各駅の駅頭での各地スキー適地の積雪量の掲出も始められた。これは戦後には新聞社にも提供されて、「スキー場たより」などの名称で掲載されるようになる。そこに「国鉄調べ」と記されていたのをご記憶の方もおられよう。

さらには、下車駅から交通アクセスの不便或はそれの無ければ、省営バス路線の開設までも行っていたのである。1933年に諏訪線/和田峠線を開業して下諏訪に拠点を持っていたのを活かし、同年のシーズンより上諏訪からゲーロッ原手前の清水橋までに季節運行したのが嚆矢であり、以降、菅平に草津方面や青森からの酸ケ湯などに拡大された。戦後には北海道にも事例がある。後の観光地としての発展に鉄道省/国鉄を抜きには考えられない地域も多い。
(この項 ニセコ (函館本線) 1983 に続く)
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(*1) 鉄道省自らが、本省および各鉄道局に活動写真機を導入して撮影を開始するのは1925年度のことであったから、これは外注によるものと思われる。導入後の取材対象には、当然に各積雪地域でのスキー・スケートの現況が含まれ、これにて多くの誘客映画が製作された。
(*2) 鉄道省/日本国有鉄道が建設・運営した全ての「山の家」を明らかには出来なかった。1960年1月現在では、以下が営業していた。
国鉄奥手稲山の家、ニセコ国鉄山の家、国鉄もみ山山荘(八幡平に所在)、国鉄吾妻山山の家、国鉄上の原山の家、国鉄土樽山の家、国鉄志賀高原山の家、国鉄藪原山の家、乗鞍山荘、国鉄道後山山の家、国鉄三瓶山山の家、国鉄大山山の家、以上12箇所である。おそらく、これが全てとは思われる。

写真は、暮色濃い倶知安を発車して往く荷42列車。終着函館は、まだ遠い。
この頃のホームには駅蕎麦スタンドに弘済会の売店も開いていた。その手前にスキースタンドが少しだけ見える。スキー客の利用の多い駅には必須の設備だった。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.4 1/16sec.@f2.8 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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コメント

ぜんぶ雪のせいだ

「ぜんぶ雪のせいだ」のルーツはここにあるのですね。

お堅いお役所がウインタースポーツというマーケティングに目覚める様が分かって、いつもながら勉強になります。

私の父は土曜日の晩に上越夜行で発って、石打辺りで日曜一日滑り、その日のうちに帰ったとか。
昔のサラリーマンは元気だったよなあと思いますね。

私の時代も冬の長距離列車には必ずスキー板を抱えたお客が。
いつの間にか夜行バスにとって代わり、やがてマイカーへ。

JRが今年何年か振りに復活させたというスキーキャンペーンは、再び鉄道回帰を感じての事でしょうか。

「スキー場たより」「国鉄山の家」、皆懐かしい響きです。

  • 2014/02/21(金) 00:01:02 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: ぜんぶ雪のせいだ

こんばんは。

週休二日なんて無かった頃ですから、皆土曜の午後から、泊まりを節約するなら夜行で出掛けたものでしたね。
私たち家族は札幌でしたのでスキーは身近でした。学校でも授業に校庭でのスキーがありました。
本文では触れていないのですが、なので父に連れられて奥手稲の山の家にも泊まっています。
当時の札幌でのスキーは、勿論荒井山のゲレンデでも滑りましたけれど、手稲の駅から板を履いて手稲山の稜線を登ったものです。そのピークを越えて滑降すれば到着です。駅から5時間程の行程と覚えています。
帰りは斜面を選んで滑りますので3時間もかからなかったはずです。

もう板を履かなくなって30年ほど経つでしょうか。でも、多分小一時間も転んでいれば直ぐに思い出すでしょうね。身体は覚えているものです。
ちなみに、そのスキーは踵の固定されない山スキー板です。

  • 2014/02/21(金) 23:46:54 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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