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"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

山越 (函館本線) 1999

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規模はどうあれ人の住む集落の駅に降りて里道を歩けば、必ずや蒼々とした樹木に鳥居の景観に往き当たる。北海道とて例外では無い日本の風景である。
この古からの宗教である神道の祭祀・礼拝施設として、同時にその信仰組織としての神社に、個人的には些か複雑な想いがある。世俗に穢れた身なればの神域への畏怖もあるが、なにより明治政権以来に国家の管理化に置かれ、宗教性を収奪されながら国民に天皇への隷属を強いる装置として機能した戦前の歴史に対してである。国家神道を狭義化して教派神道と区別する向きもあるけれど、それに加担したには変わりなく、戦後の神道指令、天皇の神格化否定を経ても一部宗教学者の助言にかかわらず神社本庁からの反省の弁は聞かれず、依然と反動的右派勢力の一角を成す。
それでも、神社のある風景にその神域とされる景観には惹かれる。例え粗末な鳥居でも、それをくぐり抜け境内に踏み入れずには居られないのだ。

1799年に幕府の直轄領となり、1800年に蝦夷地との境界とされて「関門」(関所)も設置の山越内には、1807年に「諏訪明神社」が創建された。関所に会所、下宿所等の役所の置かれての「通行人改メ」には飲食・宿泊施設も進出して急激に集落の発達したものだろう、ユーラップ場所も山越内場所と呼ばれて、住民の増加に福山(松前)の某が漁業繁栄と集落の氏神として祀ったと云う。
祭神は建御名方之神(たけみなかたのかみ)とあるから、確かに諏訪神である。元寇に風を吹かせた武神である風の神として知られるが、本来には風の悪霊を鎮め耕作を守る農耕神であり、田を守る水の神であり、狩猟を守る山の神である。その精霊は鎌に宿ると云われ、それを勧請する御神体は薙鎌とされる。
現在の諏訪神社は、山越駅の東方、山越内関所跡に隣接してその山側に鎮座する。そこの案内板にある江戸時代後期とされる絵図にも諏訪大明神として描かれているから、創建時からこの場所にあるのだろう。当時には会所から一丁ほど山手と記録されている。
ところが、1903年11月2日にこの地へ開通した函樽鉄道線(北海道鉄道-初代)は、礼を失してその参道を横切って建設されたのである。同様の事例は全国にも多くを見るが、民衆の信仰心を逆手にしながらそれを国民管理の道具としか見なかった明治政権の体質の現れに思える。現在でも参道は函館本線に分断され、代替に歩道橋が架けられている。

歩道橋を渡り境内に立てば、鳥居も拝殿も本殿もそれは神明造りである。先の絵図での諏訪大明神は入母屋造りに向拝を設けた造りに、鳥居も明神鳥居に描かれて、おそらくは戦前期の何時かに建替えられたものであろう。道内の社にはこれが実に多い。研究者によれば、入植地であり自由の気風のあった北海道の民衆管理に、序列化された社格体系の頂点、皇室の氏神たる伊勢神宮の印象化を目的とした半ば強制措置と云う。
国家神道はここにも影を残す。

山越を通過して往くのは5列車<北斗星5号>。既出画角の季節ヴァージョンにてご容赦願いたい。
後方に諏訪神社への架道橋が見える。

[Data] NikonF5+AiAFNikkor ED180mm/F2.8D 1/250sec@f5.6 C-PL filter Ektachrome Professional E100VS [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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