"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

室蘭 (室蘭本線) 1971

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1872年3月、開拓使はモルランの対岸、エンルムのトキカラモイへの桟橋の築造と、そこから札幌本府へ向けての道路開削工事を開始した。函館の支庁と札幌本府を結ぶ札幌本道である。ここでの築港は函館支庁から森までの陸路区間を噴火湾上の航路にて中継するためであった。同年8月にはワシペツまでの山越えを含む開削を終わり、9月にはタオロマイへ、10月には本府まで僅かな地点まで達したが、積雪にて越年し翌1873年6月に全通した。
この砂利敷きの舗装を採用した国内最初の西洋式馬車道とされる道路は、当時の北海道の進まぬ馬車の普及からか、小樽より石狩川の水運が中心の札幌への物流には寄与しなかったと云われるが、トキカラモイからの沿道には官庁や行政機関が置かれて集落の形成され、やがては現在の室蘭に通ずる市街地へと発展する。道路は1885年に指定の国道42号線を経て同36号線となり、室蘭町内区間は名残の札幌通りと呼ばれた。
なお、トキカラモイの桟橋位置は1910年度より着工の室蘭停車場構内拡張にともない、1912年に埋め立てられて現存しない。

当初に測量山斜面を刻む5本の沢筋を境界に、トキカラモイより順に札幌通り1丁目から同6丁目に区分けされていた市街地は、絵鞆半島に限定され、かつ標高200メートル程の測量山の麓には不思議にも思えるけれど、豊富な伏流水が流れ、自然湧水は沢水と併せて生活用水や寄港した船舶への給水に用いられていた。
そして、良質な水は早い時期から酒造にも利用され、1886年には札幌通り4丁目(後の大町)に「登久仙・鳳仙」を酒銘とした津田酒造店が開業、1922年の室蘭町の市制施行時点にて、それに際して札幌通り各丁に付与された町名の泉町(旧3丁目)に「笑鷹・伊達誉」の栗林商店(1909年創業)、「宮錦・幸楽」の宮商店(創業年不明)、旧6丁目南側の本町に「彌生・繁昌」の小林酒造合名会社(1907年創業)、山麓を離れるが沢の多かった輪西町に「瑞穂の香・三芳正宗」の田中酒造(1918年創業)の各酒造場が稼働していた。今には想いもつかぬが、室蘭は道内での一大酒造地だったことになる。3丁目を改めた泉町の町名は、伏流水の室蘭八幡宮下からの湧出に因んでの付名であった。

中でも小林酒造は、創業当初より内地も含む積極的な拡販を行い、1920年代末頃よりの「香蘭」の酒銘を主力に戦前期には伊達や遠く佐瑠太(現富川)にも醸造場を持つ1万石の大蔵であった。それは年間で一升瓶でおよそ100万本の出荷にあたる。戦後には6千石に落ちるものの、合名会社を香蘭酒造株式会社に改組して室蘭の代表銘柄となっていた。1962年に小樽の北の誉酒造と合併して北の誉香蘭酒造の室蘭支店(酒造場)となるも、その曲折は知らぬが1971年に閉鎖、「香蘭」の酒銘も消えてしまった。酒造場跡地はボーリング場を経て現在に葬祭場となっている。

写真は、室蘭を出発する527列車の幌別行き。気動車化されて然るべき運転だが、それの運用に余裕の無いこの当時に高校生の帰宅列車には客車を要したのである。幌別に転車台を設備しないゆえ機関車は逆向運転となっていた。
手前が室蘭機関区の気動車庫、その後に扇形庫に室蘭客貨車区と続く。背景が浜町に大町(旧札幌通り4・5丁目)、斜面が葛西町、泉町(旧3丁目)は画角右手になる。煙の彼方には室蘭八幡宮の鳥居も見えている。
この年の消滅には、残念ながら「香蘭」を呑んだことは無い。幼少時、微かに近所の酒屋の前掛けに酒銘を記憶するだけである。それを中国酒と考えたのは、当時の歌手山口淑子こと李香蘭(リ・シャンラン)を思い浮かべての子供心のたわいない発想であろう。

[Data] NikonFphotomicFTn+P-AutoNikkor135mm/F2.8 1/250sec@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by PhotoshopCC on Mac.

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