"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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沙留 (名寄本線) 1983

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1980年に成立の『日本国有鉄道経営再建促進特別措置法』(1980年12月27日法律第111号)には、その第二条に1985年度での事業収支の均衡が規定されていた。これを受けて国鉄は、職員の7万4000人削減による35万人体制、特定地方交通線77線3,100kmの廃止、輸送の重点化と効率化による列車削減などを含む「経営改善計画」を策定、81年5月1日に運輸大臣に提出して同月21日に承認を受けた。そこには、1978年10月、1980年10月改正と縮小を続けた貨物輸送に関して、貨物扱い駅の800駅までの統合と貨車操配施設の100箇所体制が目標とされていた。国鉄はこれを1982年11月改正に繰り上げて実行したのだが、この鉄道開業以来のヤード集結輸送はこの間にも輸送量の低下しながら労働集約型の作業に依る高い輸送コストから収支を圧迫し続け、同改正を前にした10月31日に運輸省に設置の「国鉄再建緊急対策推進本部」の圧力に、それからの全面撤退を表明するに至った。旅客・荷物輸送に関しても経営改善計画のより深度化を求められ、緊急実施を要求されるも準備期間から1983年度末のダイヤ改正を以て施行とした。
これが、鉄道貨物の輸送体系に一大変革をもたらした1984年2月1日のダイヤ改正である。通常に融雪期の3月に行われる年度末の改正が、成案の決定直後に、日々に巨額の積み上がる損失に対して即効的な効果を期し、積雪期の改変に依る輸送混乱のリスクを承知で急遽繰り上げられたものである。これは当時に如何に国鉄が追いつめられていたかを示している。施行期日決定の混乱による市販時刻表の1・2月号合併発行をご記憶の向きも多かろう。
データで示せば、一般車扱の貨物列車は改正前の2449本が1669本を減じた780本に、列車設定キロは372.0千キロが295.1千キロとなった。これには19本を減らしただけの高速・専用貨物を含むから差分の76.9千キロはほぼ車扱貨物の消失分である。貨車は1982年11月改正までの33000両に加えて45000両が不要となり、余剰気味であった機関車も新たに770両が仕業を失い、運転関係区所は165箇所が廃止された(ともに旅客列車削減分を含む)。そして貨物扱駅は85年度目標の800駅を遥かに越えて460駅体制となった。

この改正を線路端で眺めていた鉄道屋としては、多様な貨車を延々と連ねた快速や普通に解結の貨物列車が一夜にして消滅し、操車場や拠点駅の側線が運用を失った貨車で溢れる様を目撃することになり、暗澹たる想いに駆られたものだった。物流ニーズと乖離した結果の必然とは承知していたけれど憂いの事由はそればかりでは無い。
国鉄の貨物輸送市場からの大幅な撤退は、土光敏夫や瀬島隆三らの名を連ねる「第二次臨時行政調査会」を隠れ蓑とした財界の意を受けた中曽根政権による、1982年9月24日の閣議決定、即ち5年以内の国鉄改革(政権の本音は解体)を含む緊急対策10項目を盾にした恫喝の結果であり、彼らを利する国民の公有財産である国鉄用地収奪の一歩だったからである。用途を失った広大な操車場用地をはじめ多くはまもなくに時の政権党に蹂躙され、続いて鉄道用地は全てが資本の手に落ちることになる。

ヤード集結型輸送からの撤退とは、とっくに廃止もしくは臨貨に格下げされていた行き止まりの盲腸線は別としても、地方ルーラル線区・区間の多くに引かれていた貨物列車のスジの消滅を意味したから、機関車屋にしてみれば大打撃に違いなく、そこに向かう動機の無くなれば、以来には一度も足を踏み入れなかった線区も多い。この名寄本線もそのひとつでる。
1982年11月改正以降も興部、紋別、元紋別(専用線)に貨物扱の残り1往復のスジが引かれていたけれど、出荷は激減して運休も多かった。前日に名寄に尋ねて運転を確認したこの日、下り1691列車は僅かな財源を牽いていたものの、期待した上りの1690列車は機関車の単行で現れた。財源の無いだけで単行機関車列車ではない。列車掛(車掌)は機関車に便乗している(はず)。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/250sec@f4 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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コメント

これは

沙留の豊野方から沙留岬を
望んでいるのでしょうか。
反対からこちらを撮ったことは
ありましたが、こう見えたのですね。
一方で本線でありながら廃線に
なった名寄本線。やはり貨物からの
大幅撤退が要因なのでしょうね。

  • 2014/03/25(火) 10:26:16 |
  • URL |
  • マイオ #pcU4xDNY
  • [ 編集 ]

マイオ様

その通りです。そこの畑作地を積雪にズボられながら進んだ位置です。
ここから眺めると沙留岬は、オホーツクへのほんの少しの突起に見えてしまいます。実際に小さな岬でしたけれど。
この日も、いつかマイオさんのBlogで見せて頂いたような「良い案配」の氷混じりの海を期待していたのですが、
それの叶わずに、こちら側へ転戦したものです。

  • 2014/03/27(木) 02:30:44 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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