"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

網走 (石北本線) 1974

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旭川鉄道管理局管内石北本線で最後まで蒸機牽引で残ったのが、北見機関区のC58の牽いた北見-網走間の1527・1528列車であった。云わずと知れた517・518列車<大雪5号>(1975年3月10日改正当時)の末端普通列車区間である。

この列車の運転は、戦後間もない1949年9月15日改正(東海道線には特急列車の復活した改正である)にて函館-網走間に設定の503・504列車に始まる。但し、これは旭川-網走間を準急運転としていた。石北線末端区間を各駅停車とするのは1950年10月1日改正からのことで、列番を505・506列車に変じて札幌-北見が準急区間とされた。翌1951年4月1日で505の準急区間が遠軽までに短縮されるのは、燃料不足の当時に近接した時間帯の普通列車と統合したものだろう。これは1956年11月19日改正で旧に復す。そして、1958年10月1日改正を期して列番を503・504列車に戻して<石北>の愛称が付与されるのである。
1964年10月1日改正で普通列車区間を区別し、123-507-517・518-508-124列車とされ、1965年10月1日改正にて123-517-1527・1528-518-124列車に改められて、ここに1527・1528の列番が現れる。
これは1966年3月5日を以ての急行格上げ、1968年10月1日改正での愛称名の<大雪>への統合、1970年10月1日改正の函館-札幌間123・124列車の分離後も長く維持された。

この北見-網走間は、この区間での始発、最終列車として通勤・通学輸送を兼ねており、下り大垣夜行でのご経験の向きが多いと思うが、通勤客は乗り込んでも寝ている夜行客に座席を独占され、夜行客は通勤客に起こされで、双方が気まずい思いをしていたものである。
1980年10月1日改正に至って、ようやく同時間帯の北見発着<しれとこ>との振替が行われて、<大雪>は全区間が急行運転となった。82年には座席車の14系置替が予定されたから、それに定期客は乗せたく無かったと勘ぐりたくもなるが、現実には<しれとこ>の直通客も、また通勤利用客も2両編成の気動車で事足りる程に減っていたのである。

写真は網走で発車を待つ1528列車。通路線にも機関車が停まっていてそれも撮ったものなのだが、お陰で肝心の急行編成は見えない。
この当時の所定10両組成は第二乗降場の有効長を上回り、後部の荷物車/郵便荷物車をそれに納める必要から前部側の普通車2両はホームに掛からなかった。

以下は全くの蛇足である。
蒸機を機関区等の現場では「カマ」と通称した。ボイラを載せているから「罐」なのは、当時からの鉄道屋なら百も承知のことと思う。それは電機や内燃機に取って代わっても引き継がれ、それらも慣習的に「カマ」であった。
部外者であるファンに、これが専門家気取りに広まったのだろうが、蒸機の時代を知らぬ若い世代には「SLブーム」再来とは云え、由来が伝わらなかったと見える。最近に「凸釜」や「星釜」「カシ釜」云々の表記に出会い、申し訳ないが爆笑してしまった。確かに罐-火室に飯盒を放り込んだ話は機関士に聞いたことが在るけれど、本来に機関車は飯炊き道具では無い。
付け加えさせて頂けば、カマが一台とか二両などの数上げもあり得ない。罐とした以上水を呑み込むのだから、それは一パイ、二ハイと数えねばならない。これも慣習的に電機・内燃機でも同じである。
押し掛け趣味の代表でもある鉄道趣味にて、なにも部外者が現場の符牒をマネしなくとも良いだろう。「機関車」で十分と思う。

[Data] NikonF photomicFTN+AutoNikkor50mm/F1.8 Bulb@f4 Nonfilter Tri-X(ISO400) Edit by PhotoshopCC on Mac.

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