"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

豊富 (宗谷本線) 1971

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1973年の冬と記憶するが、羽幌線北部のロケハンからの帰路、幌延から乗った321列車のスハ32は白熱灯の残った車両だった。この日は午後から風雪が強まり、羽幌からの823Dの車窓はそれの吹き付けるばかりでロケハンの用を為さず、やがての暮色には遅延にも気を揉んだけれど、接続の321もまた40分近い遅れで到着したのだった。
C57に牽かれた列車は、吹き溜まりを警戒したものだろうか速度を抑えて走り、幌延で乗り込んだ決して多くはない乗客も豊富で皆降りてしまい、取り残されたのは自分ひとりだけになっていた。降雪は収まったようだけれど、強風に吹き上げられた雪が車窓を遮蔽するように灯りに浮かんでは流れ去り、そればかりか、風は地鳴りの響きを伴いながらやって来て、機器の少ない客車の床下を風音を残して通り抜けて往った。駅に停まれば静まり返る客車のこと、乗降場の側壁に阻まれた風が車体を軋ませ、閉めてあるはずのベンチレータから粉雪が舞えば、決して明るくは無い車内灯に心細さも感じたものだった。前方からは、機関車のコンプレッサ作動音と駅側との前途の確認だろうか、強風に怒鳴り合うような声が途切れ途切れに聞こえていた。
遅延はさらに増して、稚内での上り<利尻>への接続に不安も感じた頃、列車は100分余りの遅れで南稚内へ到着し、そこで前途打切りとなった。稚内ホームには既に<利尻>編成が据付けられていて、機回線の取り払われていた1番線に機関車列車は入線出来ないからだ。
無事に乗換えられた<利尻>のスハ45のまばゆいばかりの蛍光灯には何処か安堵感を覚えたものだった。

客車の客室照明への蛍光灯導入は、1955・56年度に為された戦前製の2等車(当時)オロ35に対する更新修繕での換装を嚆矢としている。1962年まで続いたこの更新修繕工事ではスロ51やスロ54、スロ60に加えスハ44/スハフ43の一部やスハ42(更新工事によりオハ36と称号変更)も試験的に対象とされ、1957年には新製時より蛍光灯を装備したナハ11/ナハフ11も製造されている。
この更新修繕での換装は、客車の電燈電圧である直流24Vを交流100Vへ変換するロータリインバータの追設や、当時の直管蛍光灯には従来の器具台座を撤去して配線も引き直すなどの工程を要したのだが、1960年代初頭までには東芝が1953年から製造していた環状管型蛍光灯が商品として一般化して、1962年度からの更新修繕工事を改めた近代化改造工事では従来の台座の転用が可能となり大幅に工程の簡略化されることとなった。これには道内の急行用スハ45/スハフ44も工事対象となり、1966年度までにその蛍光灯照明が実現していたのである。天井に二列の丸形の台座にサークル形状の蛍光灯の配列仕様を御記憶の向きは多かろう。
ところがである。せめての客室照度向上に白熱灯を二列配置としていた、これら戦後設計車は良いとしても、それの天井中央に一列であったオハ35などの戦前製車両への適用は、当時の30W型蛍光灯では白熱灯に比してかなり改善されるとは云え、換装効果の十分でなかったのである。これに対しては同時期に短尺の直管蛍光灯2本を一組とし、個別にトランジスタインバータを備えた台座取付け型の専用灯具が開発されたのだけれど、高価なことも在り、台座の一列配置車への本格的な蛍光灯普及は、高効率の大型環状蛍光管の開発を待たねばならなかった。これが、1970年代前半までスハ32やオハ62に白熱灯車の多く残存した事由である。もっとも、用途廃止も間近いこれらに投資する動機もなかったのが正解かも知れぬ。

これは真夏の遅い日没に、斜光を受けて豊富を発車して往く321列車。
旅客車は2両ともスハ32にスハフ32で揃えられている。運用区所の旭川客貨車区のこれらに蛍光灯装備車は無かった。引上げ線に置かれた石炭車が日曹炭坑天塩砿業所専用鉄道の健在を示す。

[Data] NikonFphotomicFTn+P-AutoNikkor135mm/F2.8 1/250sec@f4 O56filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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コメント

白熱灯

私が撮り歩いた1980年代前半の時点では、白熱灯車はほとんど残っていませんでしたね。
蛍光灯を写真に撮った時のあの毒々しいグリーン被りは興ざめでしたし、
当時の写真がモノクロ主体なのはそれも理由のひとつだった気がします。

道内でも白熱灯の記憶はほとんどありません。
唯一の例外は五能線の客レで、編成全部が白熱灯の素晴らしさでした。
余命いくばくもない客車に手はつけまいという担当区の意向だったのでしょうね。

  • 2014/04/27(日) 14:42:34 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: 白熱灯

五能線運用車は温気暖房器を要して、他線区に出ることの無い専用車でしたし、気動車化も間近だったゆえでありましょう。
奥羽地域には80年代の始めまでなら、本線系統にも白熱灯車が残っていました。八戸にいたスハフ322183とか、新庄のオハ612689を始めとして、盛岡にも福島にも居たと思います。
米原や福知山など、それの淘汰された区所との相違は、やはりその圧倒的だった奥羽地区運用の両数だったでしょう。

おっしゃるとおり、あの緑色系発色には手を焼いたものです。特に暮色時の走行写真。フィルタが使えませんでしたから。

  • 2014/04/27(日) 19:05:29 |
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  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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