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"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

江別 (函館本線) 1988

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馬追丘陵北端を回り込んで長沼低地に流れ出ると蛇行を繰返しながら南西に貫流して千歳川(江別川)に注いでいた夕張川には、北海道庁による1910年度からの第一期拓殖計画の時代にクッタリ(現在の栗沢・南幌・長沼の三町境界付近)から西へ江別北方の越後村付近で石狩川本流に接続するまでの凡そ11.6キロに新河道が計画され、1922年に着工、以来14年の歳月を経た1936年8月17日に待望の通水を迎えた。夕張川新水路(放水路)である。これにて、長沼低地は千歳川の小さい流下能力による夕張川氾濫の危険から解放されたのだった。

この新河道開削により、江別から幌向へ石狩川左岸をほぼ直進していた函館本線は分断されるところとなり、河道に延長523メートルの新夕張川橋梁が架橋された。当時に橋梁設計は延長の短縮から河川との直交が原則であり、これにて江別方にR=400の、幌向方にR=600の反向する曲線の盛土区間を生じた。新設線路は、同じく架橋を要した並行する国道との関係から、これをその東側として江別川橋梁下り方の函館桟橋起点308K700M付近から新夕張川橋梁の盛土区間終点の312K300M付近の約3.6キロに及び、1935年11月に切替が行われた。
付言すれば、この工事は前後の盛土構築を含めた路盤を道庁が直轄で施工し、橋梁本体と開業関係工事をその委託により鉄道省が行った。これは、その後にダム建設等で多くの例を生じた鉄道の責に依らない工事受託の嚆矢となり、鉄道省は、急遽「鉄道請願工事ソノ他経費ノ予納金取扱手続」(1936年2月達69号)を制定して対応し、1939年に「鉄道請願工事経費負担規程」「鉄道請願工事経費負担規程ヲ準用スルノ件」「鉄道請願工事経費処理規程」(1939年6月、それぞれ達413号から415号)を整備する切っ掛けともなったのである。

既設複線区間ゆえ橋梁は当初より同規格で設計され、上下線に共用の橋脚を持った長大な上路式の鈑桁橋の出現は、戦時に向かっていた当時はいざ知らず、戦後には鉄道撮影の好適地なのは周知のとおりである。
1988年の幾度かの渡道は、勿論その日程の多くを運行を開始したばかりの本州連絡特急寝台列車に充てたのだが、関係者から秋の時刻改正での宗谷方面急行の再気動車化を聞けば、撮らぬ訳にも往かなかった。この年の旅に多用していたのは道南周遊券だったから、それは札幌の近郊に限られて江別には何度か降りることになった。

列車は、座席代用寝台車組成運用の302列車<宗谷>。
近年には橋梁周辺河川敷の樹木が成長して全長の見通しは堤防上からのみとなったが、この頃までなら橋脚に接近した仰角の画角が取れた。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/250sec@f8 SC52 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.

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