"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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大沼 (函館本線) 2002

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前に 大沼 (函館本線) 1989 に書いた宇喜田秀夫の宇喜田農場では、『七飯町史』によれば多くの小作人を抱えて、主には馬鈴薯・燕麦・大豆・小豆などを生産していたらしい。そして、農閑期の冬に手がけた事業に採氷がある。

『函館市史』は、函館(箱館)での採氷はそこが開港場となり外国人が居留するようになった1855年には行われていたと書く。彼らの飲料や食肉の保存に必需であったためである。亀田川や願乗寺川が利用されたらしい。
この事情は同じ開港場の遠く横浜でも同様であり、寄港の多かった外国航路船での需要も加わって、ここでは米国ボストン近郊で切り出された氷(ボストン氷)が遥々輸入され、その極めて高価な取引は外国人に独占されていたと云う。それには当の居留外国人にも不満や反感のあり、この市場へ参入を図ったのが愛知県人の中川嘉兵衛であった。
英国の横浜駐在兵団の食料調達を請け負っていた彼は、1864年までに横浜に氷室を建設し、富士五湖方面を手始めに山梨県の鰍沢や秩父、赤城山、日光から奥羽地方北部にて採氷したものの、品質でボストン氷に敵わず、1870年に函館願乗寺川にてようやくにそれに対抗する氷を得られたのだった。
1871年には五稜郭でも採氷し、その函館産の氷は670トンが横浜方面に移出され、翌年には1061トンと記録されている。この「函館氷」は品質と価格にてボストン氷をまたたくまに放逐し、1873年にその輸入は絶えたとされる。
中川は、その1873年に開拓使に対して、道内からの氷移出に関しての専売願いを提出し、同年2月13日付にて専売税450円の上納と引換えに5年間の専売許可を得ている。

厳冬期に厚さ30cm程に氷結する大沼・小沼での採氷は、おそらく札幌本道が森まで開削され、馬車による函館への輸送が可能となった1872年の冬には始められたものと推定される。これが五稜郭に進出した中川の手に依るものかは分からないが、何れにせよ函館に氷室と内地への販路を持つ彼の元に納められたであろう。
その専売許可の切れた1880年代に至れば、京浜地区では生活様式の変化とともに市中での氷消費も伸びて往き、『函館市史』には東京・横浜ばかりでなく名古屋・京都・大阪・神戸・下関などへの出荷が記録され、1881年の函館からの移出量は3000トンを越え、1886年に3800トン余りとある。

宇喜田農場がそれに参入したのは、勿論農場創設の1897年以降であるが、その頃までには漁港や農園、あるいは医療関係、宿泊・飲食関係など保冷を要するあらゆる業種にも広く氷室や氷蔵施設が設備されて多くの需要が生じており、開通したばかりの函樽鉄道線が全道各地への移出を可能としていた。
その事業が自ら販路を持ったものか、或は切出しに出荷の請負であったかは分からないが、大沼駅構内には氷積込みを待つ無蓋貨車が列を成したと伝えられている。
ここでの積出は1970年まで続けられたと云うから、幼少時の微かな記憶だけれど、1950年代の末に小樽の家の台所に在った氷蔵庫に用いられたのは大沼の氷だったのかも知れない。

小沼畔を峠下トンネルへと向かうのは、4092列車。
ついさっきまでの荒天は急速に回復し、雲間から低く強烈な西日が差し込む。

[Data] NikonF5+AT-X300AF PRO 300mm/F2.8D 1/250sec@f5.6 C-PL filter Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push] Edit by PhptpshopCC on Mac.
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