"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

音別 (根室本線) 1976

ombetsu_07-Edit.jpg

この1970年代の終わり頃、音別から古瀬方向の海岸区間を線路が馬主来湿原へと回頭するところまで幾度か歩いていた。その当時には尺別方の原野よりも、太平洋に面した景観に惹かれていたものと思う。背後の海岸段丘は何処にでも上れたし、そこからの光景は、それまでに見たどの海よりも広かったのである。そして何よりも、その広い視界に人影を見ることは稀であった。

この海岸線には線路と並行した土道が開かれていたから、砂地を延々と歩かされた落石の外浜より随分と歩き易かった。段丘からの小さな流れに木橋の架けられていたこの道が、1960年代半ばまでの国道38号線と知って些か驚いたものだった。
砂浜の海岸線とは先住民の交易に行き来した古代の交通路である。やがては人馬の踏み分け道となり、1700年代にここへ漁場を開いた和人もまた釧路とを往来し、1800年に尺別に宿泊した伊能忠敬が、1858年に松浦武四郎の歩いたのも、この海辺の道に違いない。開拓使の時代に馬車道に拡幅され、以降には架橋や路肩の整備はなされても大きな改良の無いままに半世紀以上を経て、戦後の1952年に北海道に7本の一級国道のひとつに指定されたのであろう。この先は、白糠手前に存在する断崖を避けて内陸に迂回して馬主来峠を越えていた。国土骨格とされた一級国道とは云え、当時にはそのようなものだったのである。
一時的には賑わいもしただろうが、とても増大する物流に耐えられるものでは無く、国道38号線の第一次改良は1960年代に始まり、音別から白糠への区間は段丘上をほぼ直進する新道が建設された。そして、この海辺の道は音別町に引き継がれ町道風連別馬主来線として残されたものの、交通路として顧みられずに古の静寂に還ったのだった。そこには轍は残されていたけれど、幾度か歩いても自動車に出会ったことは無い。

北緯43度に近いこの海岸で、冬の太陽高度は南中時刻でも30度に届かない。それは一日を通じて低く海上を移動し、15時を過ぎれば夕刻の様相を見せる。
写真は、透明な大気の斜光線に反射する 1D<おおぞら1号>。函館を未明に出て、ここまで10時間を走り続けている。
この反射光を除けば、これは海辺の道を歩いた古の旅人の視界と寸分も違わぬ光景であろう。

[Data] NikonF2A+AiNikkor28mm/f2.8 1/500sec@f8 Nonfilter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR5 on Mac.
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コメント

音別の浜

こんばんは。
音別の古瀬寄り、2年前の渡道の折、気になっていたものの「尺別」
の誘惑を優先しました。
次回の楽しみにとっておいたつもりです。
午後のこの斜光線、まさしく音別界隈ですね。この光で2年前が蘇ります。

北海道の砂浜はやはりどこか原始の様相があってただただ広く、新冠でうっかり迷い込んで脱出不能になったのも思い出しました。

  • 2014/02/26(水) 22:45:28 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: 音別の浜

こんばんは。

そうですね。北辺の浜はどこか茫漠、茫洋として、どこまでも同じような光景が続きます。
北緯43度の低い斜光線は、それを使わぬ訳には往かないように、これみよがしに差し込んできます。
それと、穏やかな一日でも額のところで渦巻くような冷たい風が好きでした。

  • 2014/02/27(木) 00:42:07 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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