"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

新大滝 (胆振線) 1970

shin_otaki_01-Edit.jpg

胆振線は勿体ないことをしたと思っている。
札幌からなら日帰り圏内に在ったし、内地から通うようになっても室蘭線に函館線を繋ぐ回廊なのでスケジュールにも容易に組込めたはずなのだが、前年とこの年と二度を撮っただけに終わってしまった。本線にC62やらC57、D51が健在で、ここの9600の古めかしいスタイルに魅力を覚えなかったことに加えて、車窓からのロケハンにてこれと云った地点の見つからなかったせいだろう。もう少し後のことなら、壮瞥や蟠渓あたりの風光に惹かれたと思うけれど、この当時に蒸機には、とにかく煙だったのである。倶知安に居た9600の前照灯をデフレクタ上の2灯とした装備にしても、本来は落石の多かったこの路線向けの仕様なのだが、それも共通運用の岩内線貨物に倶知安峠で多々対面していた。
この日も倶知安からの気動車にこれと云った位置を見出せないままに峠の向こうの新大滝に降りている。千鳥配置の乗降場の中央に接する通路の先に質素な駅本屋を記憶するが、まだ稼働していたはずの徳瞬瞥鉱山からの索道や構内に建造された硫黄鉱の大規模貯鉱槽には覚えが無い。この線に1往復の貨物運転の午前の下り、夕方から夜間の上り設定は、ここから東室蘭への鉱石輸送を配慮したものだった。
積雪の線路を足を取られながらも尾路遠トンネルに向けて道路が接近するあたりまで歩いたものの、結局気に入ったポイントの無く、駅から山裾に取り付いてまもなくの落石覆い手前まで戻って斜面を登ったのだった。

胆振縦貫鉄道がこの区間を開業したのは、徳瞬瞥(後の新大滝)までが1940年12月15日、西喜茂別(後に喜茂別)までの全通が1941年10月12日と、地方開発線としてはかなり遅い時期であり、それは1890年代末に始まり1910年代までには幾つかの中心集落を形成するに至った徳瞬瞥や優徳の長流川上流域への拓殖と一体ではなかったことを示す。当時より自治体が要請し、1922年の鉄道敷設法(1922年4月11日法律第37号)別表131項にも「膽振國京極ヨリ喜茂別、壯瞥ヲ經テ紋鼈ニ至ル鐵道」が法定されながら、財政上の事由から鐵道院・鉄道省による建設は見送られ続けていたのである。
伊達町(当時)在住の早瀬末吉らを発起人とした胆振縦貫鉄道が、1930年12月22日に喜茂別-伊達紋別間の地方鉄道敷設免許を得たられのは、それゆえであったが、同社の本来の目論みは伊達と札幌との中山峠を介しての短絡に在り、その実現のための未着工の法定線を盾にした免許獲得と見るべきであろう。1928年には伊達紋別-静狩間の長輪線(後の室蘭本線)が開通し、短絡線をこれに結ぶところに商機を見いだしたと思われ、早瀬はこれに私財を投げ打ったと史料にある。
取り敢えずの喜茂別への到達は、ここに産出した鉄鉱石の倶知安回りであった輪西(現東室蘭)への輸送路を代替して、経営の安定に寄与するとの見込みからだろう。加えて、開業の1940年からは徳瞬瞥鉱山も本格操業を開始して、鉄道は活況を呈することとなった。
鉱石輸送の重要路線として戦時買収の対象となり1944年7月1日を以て国有化のなされるが、資源の枯渇も早く、最終的には共に日鉄鉱業が採掘していた倶知安(脇方)鉱山が1969年10月に、徳瞬瞥鉱山が71年3月に閉じられれば、その命運の決したとして良かった。

写真は尾路遠トンネルへと上る1891列車。新大滝へ午前に空車を解放し夕刻に積車を拾う列車設定には、倶知安機関区の9600形は鷲別機関区への滞泊を要していた。

[Data] NikonFphotomicFTN+AutoNikkor200mm/F4 1/250sec@f5.6 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopCC on Mac.

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コメント

こんにちは

胆振線、子どもごころに、有珠山の噴火の影響がでたとのニュースの記憶があります
自宅屋根にも灰がふって、おおさわぎしたような、、、その灰が簡単には除けられなくてしつこくいつまでも屋根や車に付いていました
鉄道への影響も半端じゃなかったはずですね

  • 2014/04/08(火) 19:13:17 |
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  • Jam #-
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Re: タイトルなし

こんばんは。

1977年8月7日の噴火ですね。既に札幌を離れた後でしたが、小学校時代の同級生から手稲にも降灰があったと聞いて驚いた覚えがあります。
この噴火での胆振線の被災も路盤や線路変状よりも降灰によるもので、それは伊達紋別-新大滝間で10ミリから最大160ミリと記録されています。
特に8日夜の豪雨の中での噴火により水分を持って固着してしまい、除去には大変に難儀したと伝えられます。
2000年の噴火には、もうこの線路はありませんでしたね。

  • 2014/04/09(水) 03:15:21 |
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