"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

旭川 (函館本線) 1972

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張碓-銭函 (函館本線) 1974 の続きである。

北海道電化の第一期区間の開業に際しての運転計画は、電化区間内の旅客列車のほとんどを電車化し、客車運行で残る非電化区間との直通列車の全てと貨物列車の大半を蒸機より電機に置き換えるもので、機関車は41両の投入を予定し、この内26両に蒸気発生装置の搭載を想定していた。即ち、ED75 500番台も量産計画は在ったのである。
180キロ余りに限られる区間の電化開業には過剰とも思える41両とは、第二期予定区間の岩見沢から室蘭方面運炭列車を見越してのことだろう。その要求された10パーミル勾配での1200t牽引の性能は、明らかに同区間での2000トン列車牽引を意識していた。
これが早期に見直されたのは、国鉄自身の財政事情もさることながら、1962年の原油輸入自由化に、石炭鉱業からの漸次的撤退の誘導策に出ようとしていた国の石炭政策を見極めてのことであろう。
結果的に、蒸気発生装置を搭載して、それゆえED76の500番台枝番に編入の22両に留められた投入も、非電化線が蒸機運転の当時には積極的に接続駅で機関車交換を行って、宗谷線・石北線旅客列車に芦別・赤平や万字炭山と小樽築港間の運炭列車など多くの貨物列車も牽いたものの、それらが内燃機となればその手間が嫌われ、運用効率は低下して行った。旅客列車においては、そのほとんどと急行の小樽-札幌間など短区間仕業にも永く運用され、貨物でも一部駅の専用線を電化しての配給運転などにも積極的に使われたのは、それの向上策であったろう。
結局のところ、機関車運転の特性からはこの程度の区間では持て余し、函館までの電化延長がなければ無用の長物だったのである。
第二期区間から石炭輸送の衰退に沼ノ端-岩見沢間が除外されたことや、計画自体の1980年度への遅れ、未だに実現の見込みすらない第三期計画が、この機関車に増備の無いまま終焉を迎えさせたのだった。
(この項続く)

写真は旭川駅頭でのED76 514。レストアされた姿は最初の全検出場の直後だったろうか。遠軽からのD51を引き継いで札幌まで522列車の変じた832列車を牽く。電気機関車のスチームは蒸気発生装置搭載の証である。
この514号機は、新製から20年を経た1989年6月9日付にて海峡線運行用設備を搭載して551号機となり、五稜郭の青函運転区に転じて生き延びた。ほぼ<エルム>に専用されたのをご記憶の向きも多いだろう。

[Data] NikonFphotomicFTN+AutoNikkor5cm/F1.8 1/125sec@f8 Y48filter NeopanSSS Edit by PhtoshopLR4 on Mac.
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