"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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常紋信号場 (石北本線) 1983

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アイヌモシリ、即ち北海道島の日本の権力機構による組織的植民政策は、1869年7月設置の開拓使により一元的に所管された。もちろん鉄道事業も例外ではない。
1882年2月8日付でのそれの廃止、函館・札幌・根室の3県への分権にともない、一時的に植民、農林水産事業が農商務省に、工場、炭礦、鉄道などが工部省に移管されるも、1886年1月26日に北海道庁が成立すると戦後1947年の地方自治法制定まで、道内におけるそれらは再び一元的な開発行政機構により統括されたのである。
しかしながら、鉄道行政・運営のみは1905年4月1日と云う早い時期を以て当時の逓信省鉄道局・同鉄道作業局に移管されてしまう。当時の日露戦争戦時下に議論されていた鉄道国有化を踏まえての施策であり、それは規格の異なっていた線路系統の統一上からも、交通政策上、国民経済上にも必要とされた政策ではあったが、鉄道建設を不可分とした植民途上の北海道にあって行政の二元化は時期尚早であったかも知れない。
それの典型は、当時に敷設運動の進められていた現石北本線の遠軽以遠区間に見て取れる。

現行の石北本線を構成する一部、遠軽-北見間は、湧別軽便線として網走線の野付牛(現北見)を起点にオホーツク岸の下湧別(後の湧別)までの81.2キロに計画され、1911年3月に議会の協賛を得て建設の決定したものである。
国有鉄道における軽便線とは、鉄道国有法(1906年3月31日法律第17号)施行後の民間資本による地域交通線建設促進を図って制定の軽便鉄道法(1910年4月23日法律第57号)を、国有鉄道線の「高規格を必要としない路線で、地元に起業者がいないか将来的に有望な路線」にまで拡大解釈して適用した線区に付された名称で、必ずしも線路規格を示すものでは無い。
ところが、湧別軽便線の野付牛での網走線連絡から当然に1067ミリ軌間を採用して1912年11月18日に留辺蘂までを開通した線路は、その延長を762ミリ軌間とされてしまう。
当時の建設主体であった鐵道院とすれば、この区間は、道内鉄道の所管が北海道庁であった1896年に成立していた北海道鉄道敷設法(1896年5月14日法律第93号)第二条に規定された「天盬國奈与呂ヨリ北見國網走ニ至ル鐵道」の一部に該当して、将来の幹線鉄道が想定されていたにもかかわらずである。

北見から網走(後の浜網走-初代)が釧路線の池田で分岐した網走線により道央と連絡されたのは1912年10月5日であった。鐵道院とすれば、これを以て戦時賠償のなされなかった日露戦争後の国家財政からも、この「天盬國奈与呂ヨリ北見國網走ニ至ル鐵道」は当分に予算化のなされないものと考えており、湧別を網走線に連絡する鉄道の計画は北海道庁の主導にて進められたものであった。1906年に着任した長官河島醇は拓殖に鉄道は不可欠として各地に統一組織の「北海道鉄道期成会」を組織させ、住民を巻き込んで鉄道敷設促進を政府・議会に働きかけたのである。
静観していた鐵道院も、1909年に総裁後藤新平を道内視察に送込まざるを得なくなり、同年以降に期成会の提示した予定線の調査に着手、網走線から湧別への連絡線を低規格線として建設する意思を表明するに追い込まれたのだった。
(この項 常紋信号場 (石北本線) 1998 に続く)

この1982年11月改正当時、ここを通過する貨物列車は6往復が残存していた。高速貨物列車は設定されていなかったけれど、コンテナ車組成列車は普通貨物のスジに乗っていた。
新緑の峠を越える列車は576列車。直行貨物1551列車の折返しとなる、北見から新旭川へのコキ/コキフ50000による普通貨物Aである。新旭川から直行貨物1356に承継された。後補機もDD51なのだが、カーブに切れて見えない。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/250sec@f5.6 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

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コメント

こんにちは

このあたりの記事、きっと私の知らないこといっぱい、ドキドキ(^^)と
楽しみにしております(^^)

冬、雪の中の常紋にはさすがに行ったことはないのですが
・・・今年あたりは雪が融けたら
足、運んでみようかと思ってます

今年もよろしくお願いいたします

  • 2014/01/06(月) 17:55:40 |
  • URL |
  • Jam #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは。
本年も宜しくお願いいたします。

基本的には遠軽町史に留辺蘂町史を参照してますので、おそらくはJamさんならご存知のことばかりと思います。
札幌工事局による工事誌もさらりとした記述で目新しいことはありませんでした。
興味は、常紋郡境越えが何故金華峠経由にならなかったのか、と云う点に在ったのですが、実のところ解明はできていません。
遠軽町史は鉄道関係にもかなりの記述をしてくれているものの、一歩及ばずですね。

  • 2014/01/07(火) 02:16:00 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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