"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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七飯 (函館本線) 1988

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七飯から大沼への勾配緩和線、通称の藤城線については、ここへも何度か書き、それをWebsiteにもまとめている。→ 函館本線 七飯-大沼間の線増
それの調査の際、閲覧した資料により記述が異なっていたのが、アジア太平洋戦争の敗戦にて工事の中断された時点での進展状況であった。それには、隧道の掘削途中と記述するものもあれば、路盤・隧道のほぼ完成とするものまで工事各段階の記述が存在したのである。土木の世界でトンネルの完成とは、開業関係工事、即ち軌道設備や信号設備などを施工すれば車両運転の可能な状態を指すから、前記の「完成」とは貫通を示すものと解しても記述には差異がある。しかも、5箇所存在する隧道のそれぞれについて触れた資料は無かった。

米軍が戦後まもなくに撮影した空中写真には、現在の国道5号線との交点付近から藤城地区の山腹に向けて路盤工事に着工した状況が見て取れるが、完成路盤と判別出来そうな区間は無い。山中区間は開削の途上と云ったところだろうか。久根別隧道の出口側は工事用通路らしき痕跡の見えるだけである。
トンネルの掘削状況は、勿論見えない。それは通常には路盤工事に先行するから、1963年11月の着工、1966年9月30日に使用開始の、その3年に満たない工期に土木工事は2年程度だったと推定すれば、導抗くらいは貫通していたとも考えられる。但し、国鉄資料には久根別トンネルに工期24ヶ月の記述が見え、この隧道はほとんど掘削されていなかったとも思われる。
七飯町立七飯歴史館に伺うと、当時の近隣住民の話として、戦後に人の住み着いていたことや自分らの貯蔵庫代わりにしていたこと、子供の遊び場だったこと等が知れたが、その状態を推測出来るような聞き取りは無い。1960年代初頭と思われる、この線増の計画段階では当然に再着工前提の現況調査がなされたであろうから、やはり国鉄部内文書であるそれの報告書でも発掘されない限り、正確なところは知れぬだろう。

この戦後の桔梗-軍川間線増計画に際しては、藤城回り別線の比較案として渡島大野から直進して既設線西側を延長2590メートルの隧道を含むループ線で仁山へ上る経路が検討された。上り線に使用する既設線に下り普通列車運転が不要で線路容量は最大に拡張されるが、工事のある程度進展していた藤城回り線の在りながら建設費の最も嵩むこれを持ち出したのは、藤城線に想定される13億6千万円の工事費を国鉄理事会に納得させる「当て馬」的存在であったろう。ちなみにループ線案の想定工事費は16億4千万円であった。

写真は、延長913メートルに及ぶ七飯高架橋を駆け上がる5列車<北斗星5号>。
高架橋の内側には住宅の建ち始めていたけれど、まだこれに接するには至って居なかった。現状では、この仰角でも屋根の写り込んでしまうだろう。
88年夏前の撮影なので機関車は国鉄制式塗色である。

[Data] NikonF3P+AiNikkorED180mm/F2.8S 1/500sec@f4 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCC on Mac.

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