"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

札幌 (函館本線) 1983

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旭川 (函館本線) 1972 から続く

さて、北海道電化の第一期区間開業の際に投入される一方の電気車両の電車は、当初には同じ交流電化の東北線や北陸線に倣っての急行形-30両と、そこには無い近郊形-94両で計画されていた。
急行形はキハ22も使用していた小樽-旭川間にて完結する優等列車網の整備に必然であろうし、近郊形の配備は老朽化の進むスハ32や接客設備で劣るオハ62が主体であった普通列車の大半を電車化する計画であったから、これの代替を気動車化等で余剰の本州地区から客車配転に求めれば、耐寒耐雪改造を伴うゆえ経年客車への投資を避けたものだろう。
この車両計画が早い時点で近郊形の59両に一本化された経緯は調べ得ない。第二期区間までを考慮しても電化区間は道央地域に留まり、将来に優等列車を全て特急化する方針の囁かれていた頃ゆえ、長距離運転の優等列車用は特急形として第三期の函館電化時に先送りした結果と推定する。独立した出入台を持つ車体構造の寒地仕様を盾にキハ22を座席指定制急行にまで運用した前例を以て、汎用の設計としたものであろう。
711系近郊形電車は、内地の近郊形-111系初期車の1395ミリに対してキハ56/27並みの1460のミリシートピッチを確保し、客室化粧板も薄茶色を採用して窓下にテーブルも設けた急行形仕様で設計されていた。
近郊形の由来は、幅1000ミリの客用乗降扉に通路幅の急行形気動車の526ミリに対する650ミリや客室車端部の8人分の横型腰掛に見て取れるが、この711系の縦型腰掛の幅は窓側座席の肘掛を省略したもののキハ22の987.5ミリを越え急行形の1095ミリに迫る1025ミリである。ここまでの設計ならば、電車化による小樽-旭川間到達時分の気動車に対する大幅な短縮もあり、寧ろ完全な急行形として出場が電化開業に対する誘客効果も高かろうに、近郊形に拘った理由はわからない。1967年度第二次/第三次債務計画による量産車の新製事由には、「ローカル列車の電車化及び急行列車増発用」とあった。
けれど、1968年8月28日の滝川電化、1969年10月1日の旭川までの開業時の運用図表に一目瞭然のとおり、そこには明らかに急行列車主体の運用が組まれていたのだった。

この電車は2012年10月改正にて電化の成った札沼線にも進出した。函館線電化時の投入車は既に失われ、それは1980年度の新製車なのだけれど、この系列の登場時の札沼線と云えば一日に僅か10往復20本の気動車が上下するばかりの線区だったから、「北海道電化」の初期を知る身にはことさらに感慨の深い出来事であった。
(この項終わり)

札幌駅頭での711系列車は3724M、千歳空港行き。出庫を兼ねた手稲からの各駅停車がここから快速運転となる。この当時の空港連絡は、企画乗車券「エアポートシャトルきっぷ」による特急・急行利用が主体であり、快速列車は朝に上り、夜間に下りのそれぞれ2本が設定されるのみだった。
なお、この系列の研究記事等において、1966年度末に登場した試作車4両の新造費を「1966年度本予算」とする記述を見かけるが、正しくはクハ711-901/902の2両が該当するのみである。クモハ711の2両については寒冷地での電気運転そのものへの試験供用から電化工事費より支出され、車両予算ではなかったことを付記する。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4S 1/125sec@f1.4 FujiSC42filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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