"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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北広島 (千歳線) 1988

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上野幌-西の里信号場 (千歳線) 2002 から続く

千歳新線への切替が1973年度秋期ダイヤ改正を待たない9月9日とされたのは、新札幌の開業を待つ札幌市はじめ地元住民の要望もあろうが、貨物輸送の繁忙期となる10月の不慣れによる輸送混乱を避け、旅客の季節輸送も一段落した時期を選んだものである。
これにより、10月1日改正までは切替区間以外を現行ダイヤとした関係上、暫定ダイヤでの運転となり、旧線区間内中間駅で交換待ちのあった普通列車は極力札幌発着時刻にて調整を図ったものの、生じた余裕時分を吸収しきれない列車、特に北広島以遠への上りについては途中駅で時刻調整を要した。中には棒線駅の新札幌での事例もあり、734Dは5分、738Dは13分も停車していた。ここでの長時分停車に後の例は無いと思われる。
優等列車は苗穂と北広島の通過時刻を固定して新線内のスジを寝かせたから、高速運転対応の新線は低速運行での開業であった。
なお、厚別地区を営業区域とする国鉄自動車は、9月9日夕刻より新札幌ともみじ台団地、青葉町八丁目間に、札幌との通勤通学列車に接続するバスの運行を開始した。それぞれ方面への一日僅か7往復運行は、現在ここでの路線網と隔世の感がある。

複線化にともなう北広島の構内改良は、1965年に着工し1966年9月7日に使用開始した恵庭-北広島間線増に合わせて施工されたものであり、千歳新線工事とは直接に関連しない。
上下本線に相対した乗降場を置き、上下貨物列車に使用可能な中線を持っていた構内は、恵庭からの増設線を上り乗降場の外側に通して、これを島式に改築、従来の上り本線を新たな中線として旧中線を廃した2面3線構造とされた。将来の列車回数増に備えて上下旅客列車の退避をも可能とする措置である。現在まで残る上下線間(2番線と3番線間)の用地は、この際廃された中線の名残である。よって、基本的な乗降場位置は変わっていない。
上野幌方では、同じく1965年に着工の別線複線工事が先行して進められ、これへの接続を前提とした配線が整えられていた。輪厚橋梁を含むこの新線へ将来の上り線を使用した単線にて切替えられたのは1969年であり、1973年9月9日の千歳新線移行は、ここではそれを複線使用に改めるのみであった。
1980年の電気運転を経ても、この配線にて永く運用されたのだが、1988年11月3日改正における普通列車の全面電車化、空港快速の増発に際して、緩急接続体系の推進上から下り線(上り運転線)にも待避線が新設された。実際には、従来の下り本線外側に1線を増設、これを新下り本線として旧下り本線を下りの副本線としたものである。この際、従来の中線の機能も維持され、現在の3番線は引き続いて上下の副本線である。
この間の駅本屋の改廃については、北広島 (千歳線) 1972 に書いている。

写真は、1969年より供用を開始していた輪厚橋梁での3052列車、隅田川行き。画角の既出をお詫びする。季節毎の光線を期待して同じ位置へ幾度も出掛けているのである。
この高い橋梁にて、旧線の輪厚川への下り込み線形が解消されている。
(この項 西の里信号場 (千歳線) 2000 に続く- 参考文献はシリーズの最後に記載する)

[Data] NikonF3P+AiNikkorED180mm/F2.8S 1/250sec@f5.6 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

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