"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

上野幌-西の里信号場 (千歳線) 2001

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以前にシリーズで続けた千歳新線にかかわる記事の番外編である。
その記述に際しての資料調べにて、国土地理院による1967年発行の五千分の一国土基本図-図葉番号「12-NC-75」に興味ある記載を見つけた。千歳線旧線上の西の里信号場に隣接した広島町椴山地内に道路が碁盤目に通された宅地造成地らしき記載があり、そこには「西の里駅前団地」と記されていたのである。

当時の空中写真などと突き合わせてみると、造成工事の始められたのは1960年代半ばと推定され、札幌厚別地区ですら最初の団地開発である市営「ひばりが丘団地」の工事が終わって「下野幌第一団地(青葉台団地)」に着手した段階にあり、北広島地区での道営駅前団地は未だ着工もされていない当時に、現在でさえそれの及ばぬ野幌丘陵の只中での宅地開発は無謀に思える。まして、一部列車に乗降は可能だったとは云え開設されたばかりの信号場に対して、その「駅前団地」を名乗ったのである。札幌への通勤・通学に列車を利用出来たとは思えないから、その開発名称は詐称に近く、大言壮語に属しよう。
現地は、北広島市道(当時に広島町道)大曲椴山線から現在の西の里信号場へ向かう市道(線名不明)の南側、現住所で西の里246番地とされる一帯であり、地形図上からの推定だが、開発面積の幅90メートルで延長540メートル程の5ヘクタール足らずは極小規模開発である。造成の終わったであろう1974年の空中写真に見れば、数戸の住宅らしきものが判別されるのみにて開発の目論みは失敗したとしか思えない。現在の西の里信号場への往き帰りにはその市道を歩くゆえ、ご存知の向きも多かろうが、現況とて建物は疎らで原野・森林に帰った区画すら認められる。

北広島市役所の都市計画課や市立図書館に問い合わせても、市の文書に「西の里駅前団地」との記載は一切く、当然に民間デヴェロッパの開発であろう。けれど、これも当時の広島町が開発計画の提出を義務付ける以前のことにて記録されず、地形図記載に際しての国土地理院から広島町へなされたはずの地名確認文書も保存期限の30年を経過して廃棄されてしまっていた。
結局のところ何の資料も手に入らなかったのだが、西の里地区在住の市立図書館学芸員の方が個人的に聞き取りをして下さり、ここが当時「はしづめ(はしずめ?)団地」と呼ばれていたらしいことが知れた。漢字表記は不明である。
これは付近の地名には無いから、開発者の会社名もしくは個人名、或は地主の個人名と考えたものの、取っ掛かりの無くて途方に暮れている。渡道の際に現地居住者への調査しか無さそうだが、何かしらご存知の方がおいでなら是非ご教示をお願いしたい。

ここでの定番位置からの8009列車。
画角左を外側に続くのが「西の里駅前団地」と称した宅地開発地である。千歳新線工事の頃、その用地を通過してこの立ち位置あたりに工事用通路が設けられていた。

[Data] NikonF4s+AFNikkorED180mm/F2.8D 1/500sec.@f2.8 C-PLfilter Ektachrome Professional E100SW [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

上野幌-西の里信号場 (千歳線) 1998 から 上野幌-西の里信号場 (千歳線) 1996 まで13回に分けて続けた千歳新線にかかわる記事については、その後も折に触れて調査を継続しており、新事実の発掘や資料の精査により見解を変更した点などがあります。いずれ補遺にまとめるつもりですが、その都度に記事の当該個所に追記なり修正を行っています。
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  • 2014/04/22(火) 02:46:40 |
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