"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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白老 (室蘭本線) 1966

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鉄道線路の道床材や道路舗装が主用途であった砂利は、1900年代以降に建設材料にコンクリートが普及すると、そのセメント骨材としての需要が急増した。主には、採取の容易さから川砂利が用いられることとなり、採取適地に近接して鉄道が通過していれば砂利積出位置まで線路が引込まれ、それの無ければ専用の運搬鉄道が敷設された。砂利搬出線を出自とする私鉄線や後の国有鉄道線の多いことはご承知のとおりである。
建設需要が頂点を迎えた戦後の復興期から1960年代高度成長期に架けては、全国各地の河川で採取風景の見られたのだが、河床低下による護岸洗掘などの支障と下流域から海岸への環境問題などから、60年代末には原則採取禁止となって現在に至っている。
白老駅近隣の白老川も採取地とされていて、下り列車で白老川橋梁を渡ると左手河岸に無蓋貨車が列を成す姿の見られたものだった。内地から旅すれば、鉄道の車窓には珍しくもない光景であったこれは、白老構内から延ばされた専用線であり、当時の五万分の一地形図にも記入されていた。それは構内西側で分岐して、ほぼ直線で北西方向に進み現在の旭化成工場構内跡地付近に到達し、もう1線が途中で左に分かれて曲線を描き南側の河岸に至っていた。室蘭線の車窓に見えたのはこちらである。

1966年に始めてここに降りた当時には、それは稼働していたはずなのだが、蒸機目当ての身としては側線の貨車には記憶がない。本線の蒸機が入線していたものか、今となっては興味が尽きない専用線ではある。1970年頃までと思われる撤去の後の路盤は北側への区間は道路に転用されて現存するが、分岐しての南側への区間や積出場跡地は、曲線部の一部が細道に残る以外は道道86号白老大滝線の用地となって消滅した。
なお、一部に記述される陸上自衛隊北海道補給処白老弾薬支処への専用線の存在情報は誤りである。ここへの弾薬輸送は設置当初より室蘭港からの道路輸送であった。

写真は、駅東方での7795列車。本来は夕張への石炭車編成の返空列車なのだが、この日は一般的な貨車編成と覚えている。苫小牧へと送られる操配貨車だったのだろうか。
道内では往々にして冬の気温にマイナスを省略する。内地からの転居当初には戸惑ったと、後に母から聞いた。この朝の待合室では、地元の人々が「今朝は6度もあった」と会話していた。この時期に最低気温の-6度なら、会話の通り確かに暖かい。

[Data] NikomatFT+AutoNikkor5cm/F2 1/250sec@f2 Y48filter NeopanSS Edit by PhotoshopCC on Mac.

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コメント

こんにちは。
排気煙のモクモク感が半端でないですね。
中央西線のD51重連(の排気)もこのような感じだったのでしょうか。

  • 2014/04/03(木) 12:42:44 |
  • URL |
  • 影鉄です #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは。
いつも、ありがとうございます。

投炭中もしくはその直後の力行している煙です。投炭の無い力行なら白煙、使用済み蒸気の排出だけになります。
加えて気温が氷点下ですし、逆光にエッジを強調しています。

中央西線は、そりゃあ山岳線区ですから、勿論のこと。

  • 2014/04/04(金) 03:28:05 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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