"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

釧路 (根室本線) 1985

kushiro_06-Edit.jpg

1960年5月22日15時11分(日本時間5月23日04時11分)、南米大陸チリ国中部の都市バルビディア近海にて歴史時代を含めても最大と云われるマグニチュード9.5の海溝形巨大地震が発生した。海溝に幅200キロ、長さ800キロに渡り最大20メートルの逆断層を生ずる活動による津波は、約15分後から波高18メートルでチリ沿岸に達し始め、同じく平均750Km/hの速度で環太平洋地域に向かった。
この津波は、およそ22時間から24時間後に日本列島の太平洋岸に到達して各地に被害を及ぼした。気象庁が「チリ地震津波」と命名した災禍である。

子供の眼には、白黒のニュース映像として放映された宮城県塩竈市や岩手県大船渡市の船舶が市街地にまで流された惨状(50年後にデジャブのようにそれを見るとは思わなかった)が強く印象に残っている。勿論、津波は北海道の沿岸にも押し寄せて、最大波高は浦河で3.2メートル、11人の犠牲を出した浜中町の花咲港では4メートルと記録されている。
当然に海岸線の鉄道も被災し、旧釧路川に架橋された釧路川橋梁もそのひとつであった。釧路への第一波の到達は検潮所の自動観測記録によれば5月24日午前2時40分とされ、潮位変化は4時45分に記録の2.34mが最大である。
これにて、釧路川橋梁は全ての鉄桁に最大300ミリのズレを生じ、列車運行が不能となった。国鉄の記録では、この桁を移動させた最大波高は3.50mとある。桁下高さの低い橋梁であるから直撃を受ける波高であろう。落下、流失のなかったのを幸に鋭意復旧に努め、翌25日夕刻には運行を再開したのだった。
この他道内では函館駅構内が全水没し、これは当時にも報道されて承知していたのだが、この釧路での橋梁被災は最近になって資料をめくるまで知らずにいた。

釧路の4月から9月の半年は海霧の季節である。年間の平均霧日数は約100日とされるから、この季節の二日に一日はそれに沈むことになる。大半が移流霧と呼ばれる遥か三陸沖に発生し、南風に押し流されて北海道東岸に達した霧なので、それが続けば晴れことがなく一日がその底にある。
夜行で釧路に到着したものの、気象予報に諦めて至近の釧路川に立った。乳白色の大気が画角を単純化してくれるに気づけば、それも楽しい。
橋梁を往く列車は 212D<ノサップ2号>。
左岸に在った漁業施設は取り払われていたけれど、まだ岸壁には廃船の繋留されていた頃である。

[Data] NikonF3P+Distagon 28mm/F2.8 with Adapter 1/125sec@f4 Fuji SC56filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/540-69a19ddb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。