"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

桂川信号場-石谷 (函館本線) 1977

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北海道警察森警察署が公表しているヒグマの目撃情報によると、2013年10月17日に湯の崎で桂川方向に進む姿が目撃されている。「国道湯の崎トンネル北東側旧道上」とあるから、湯の崎の海沿い、1969年まで国道5号線が、1971年まで函館本線が通過していた路盤跡に違い在るまい。毛無山方向から道央自動車道の鷲ノ木遺跡トンネル上を越えて移動して来たものだろう。
子供の頃、手稲の新興住宅地にも熊は出没した。その個体群は絶滅の危機に在る山域もあると云うが、今も昔も生息域が生活圏と隣接しているのは変わりがない。

以前にも書いたけれど、この桂川から石谷の区間の線増は、桂川-石倉間線増として「第三次長期計画」に組入れられ、大半の区間が複線別線で計画されていた。それは、建設省函館開発建設事務所の所管する、森町域の森川町地内から石倉町地内までの国道5号線の改修工事と密接な関係にあった。
この桂川信号場-石谷間の計画は、湯の崎を海岸線に沿って迂回していた区間の複線断面の隧道新設による短絡であり、森市街地を避けて直進する「森パイパス」建設にて進められた国道もまた、湯の崎には函館本線山側に隧道を穿つものであった。ここでは、既設の国道は桂川方の海側が湯の崎の途中の踏切にて山側に移り石谷に至る線形だったから、函館本線線増を単独で進めると隧道出口方に平面交差を生じてしまい、また石谷までの区間も海側に路盤を新設せざるを得ず、国道改良工事との連携とそれの先行を要したのである。
1966年度に着工した両工事は、国道の「湯の崎トンネル」が1969年に竣功して「森パイパス」が開通、函館本線の「桂川トンネル」も追って貫通して、石谷方では旧国道の用地を増設線路盤に転用した複線化が進められ、1971年7月28日に増設線である将来の下り線を使用した単線運転に切替えられた。使用を停止した既設線の改修工事の後、複線運転は同年9月21日の開始であった。
石谷から本石倉信号場を経て石倉までの区間は、両端停車場付近を除く全区間が山側に第一から第五の石倉トンネルを掘削しての別線複線新設となり、1973年12月11日に石谷から函館桟橋起点58K880Mまでを将来の下り線を用いた単線使用、以遠石倉までを複線使用として切替られた。起点58K880Mとは新設線の濁川橋梁(L=30M)付近であるが、ここまでの単線は第一石倉トンネルと第二石倉トンネル間で新線の複線路盤構築に既設線が支障し、それの切り崩しを要したためである。その施工を待って、ここは1974年10月31日に複線使用を開始している。
そして廃止された旧線路盤の多くが国道の拡輻に転用された。桂川トンネル付近と同じく国道の旧道用地を増設線路盤とした第五石倉トンネルから石倉までの区間との用地の相互交換である。

桂川トンネルの石谷方は下り線が増設線だから、この風化して骨材の砂利が露出した護岸は、1903年11月3日のこの区間の開通に際してか、その直後に築造されたものと思われる。
列車は、102列車<ニセコ2号>。

[Data] NikonF2A+AiNikkor28mm/F2.8 1/250sec@f8 Y48 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS4 on Mac.

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