"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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張碓-銭函 (函館本線) 1974

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北海道電化の頃のことは良く覚えている。札幌地区の鉄道には一大変革であったから鉄道雑誌や北海道新聞の記事をむさぼるように読み、1966年11月からのED75の、1967年2月からの711系電車の試験運転は何度か眺めに行っていた。ハーフ判カメラを手にしていたけれど、拙い画像は個人記録の域を出るものでは無い。
「函館線電化」では無くて「北海道電化」とは不思議な言い回しだが、当時にはそう呼ばれていた。これは函館本線ばかりでなく室蘭本線に千歳線も含めた道央/道南地区の電気運転計画の総称であり、1958年に着工の門司港-久留米間「北九州電化」と同様に、中央の国鉄本社から見ればそうなるのであろう。

1958年2月に国鉄部内に設置された動力近代化調査委員会は、40回に渡る専門委員会の開催を経て1959年6月19日に総裁に対して答申を行った。そこでは、1958年度末の既電化区間2500kmに加えて「主要幹線約5000kmを、遅くとも15年以内に電化」すべきとされ、これには道内の長万部-小樽間を除く函館本線、室蘭本線、千歳線が含まれていた。
この答申を受けた道内の電化計画は、1964年1月に国鉄北海道支社に設置された「電化計画委員会」に始まる。北海道開発庁による1963年度からの「第二期北海道総合開発計画」において旭川・小樽から室蘭に至る道央各都市への第二次産業の誘致・育成が盛り込まれ、当時に陸上の基幹輸送機関であった国鉄は、対本州の輸送力増強と輸送時間の短縮ばかりでなく道都札幌とこれら都市を結ぶ輸送網の整備をも迫られていたのである。
この委員会にて立てられた計画案は道内の電化を三期に分割して実施するものとされ、第一期の小樽-旭川-永山間を1968年度に開業、第二期を室蘭-岩見沢間と千歳線区間として1971年度に、第三期を函館から東室蘭の区間にて1973年度を目標にしていた。この内の第一期計画は1965年11月に国鉄理事会の承認にて着手が決定、直ちに工事認可(1965年12月3日運輸大臣認可)を得て、銭函-手稲間と定めた試験区間の手稲構内に電化1号柱が建植されたのは翌1966年5月のことであった。
滝川までを1967年度、全区間を北海道が開基100年と位置づけた1968年度の開業を予定したのだが、車両側に生じた誘導障害や試験区間で明らかとなった冬期間の設備保全などの技術面の解決などに時間を要して、小樽-滝川間は1968年7月25日に通電・加圧され、試験運転を経た8月28日に開業、以遠旭川までは、1965年8月に着工していた納内-近文間の別線複線の神居トンネルにおける難工事から、それの完工を待っての1969年10月1日の開業と、それぞれ1年を遅れた。けれど、現在に至るまで道央の基幹輸送路に欠かせぬ設備となっている。

第二期と位置づけられた区間については、北海道総局からの計画概要に本社にて検討の開始されたのは1977年2月のことであり、同年12月12日の常務会にて計画決定され、翌13日の理事会の承認を以て、1978年1月9日に運輸大臣の工事認可を得て直ちに着工された工事は、1980年10月1日の開業と計画に9年を遅れることになった。そして、第三期区間の着工は見送られ続け、今後の着工もあり得ないだろう。
この遅れは、切迫していた財政上の事由もあるが、当時に政府内で進められていた北海道新幹線の経路問題が影響していた。それが1974年に小樽を経由する「北回り」に決着したことで、第二期計画区間との重複投資が回避されて、ようやく計画の進行したのであった。当時に整備新幹線は近い将来の着工が見込まれており、それも無理からぬこととも思える。
北海道総局の提出した計画では、石炭輸送の衰退から室蘭本線の沼ノ端-岩見沢間は削除されていたが、代替に第三期の函館-東室蘭間を先取りすることは無く、この時点で既にそれは放棄同然であったろう。その区間こそ新幹線の並行線ゆえである。であれば、この時点で室蘭から苫小牧の区間も削除されて然るべきなのだが、それの見直しの無かったのは、室蘭市を始め沿線自治体への対応と国鉄の官僚体質からだろうか。
1970年代前半の計画停滞が、その後の北海道電化の命運を分けたとして過言でなく、それに少なからず新幹線計画が影響した事実は覚えておいて良い。
周知のとおり、今その区間には数往復の特急電車のみに大規模施設が稼働を続けている。
(この項続く)

激しい降雪の石狩湾岸を往くのは、荷41列車。
銭函-手稲間の試験区間は1967年10月に朝里まで延され、ここの電車線路設備はそれ以来のものである。複線分を片持ちする巨大な鉄製電化柱は、ここに試用された独特の形態で他に例は無い。

[Data] NikonF2A+AutoNikkor105mm/F2.5 1/500sec@f5.6 L37filter Tri-X(ISO400) Edit by CaptureOne5 on Mac.

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コメント

こんにちは

札幌にいたころ「汽車通」で利用してた札沼線も電化され、711系が走ってるのですよね・・・まだこの目で見てはいないので実感がわきませんが
たまの帰省で白石駅に降り立つと見える架線の数々 電車の数々
電気=都会だなあって 故郷札幌を離れてまだ20年にもなってないのですが 
そう思ってしまう田舎者にすっかりなりました(^^)

ブログ2周年 おめでとうございます
またちょくちょくおじゃまさせていただきます(^^)

  • 2013/12/17(火) 11:03:41 |
  • URL |
  • Jam #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは。

白石から札沼線とは、やはり今の電化区間の末端関係ですかね。
白石も知ってた駅とは全然別の駅になりました。
桑園も手稲も面影無く、次は苗穂の番ですね、
これは函館線電化の3回シリーズの予定。711系電車のことは最後に書くつもりです。

  • 2013/12/17(火) 23:55:48 |
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  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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