"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

糠平 (士幌線) 1982

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十勝川水系の発電計画による音更川への糠平ダム設置にともない、士幌線が帯広起点53K850M付近から同66K360M付近までの区間で実延長14K850Mの付替新線に切替えられたのは1955年8月1日のことであった。
この新設線は、本来ダム建設の事業主体である電源開発株式会社の責を国鉄が受託したもので、1953年12月10日に両者間で覚書きが交わされ着手するも、年の明けた1月10日の着工から1955年9月に予定されたダムの堪水開始までに既設線の撤去をも含んで、路盤工事に1年半余り、線路敷設等の開業関係工事に2ヶ月程の工期しか許されぬ工事となった。
実は、これとは別に起点58キロ付近に建設されるダム躯体工事に支障する区間の仮付替も行われていた。それは、起点57K430Mから58K550Mの区間をダム左岸基礎地盤の斜面に延長385メートルの隧道を掘削して迂回する線形であった。1953年5月中に着工して年内には供用したと思われるのだが、ダム完成時には放棄するにかかわらず隧道まで含む仮線を建設した電源開発側の事情は分からない。国鉄側の資料によれば、この仮線の建設要請は1953年2月24日に電源開発の糠平建設所長よりなされ、付替新線のそれは同年3月13年に同社総裁より国鉄総裁宛に出されたとある。国鉄の工事受託の裁可は共に5月9日であった。

堪水域に在って水没した旧糠平駅は知り得ない。Web上に検索したそれは針葉樹の原生林に囲まれた好ましい木造建築と見て取れ(例えばひがし大雪アーチ橋友の会のサイト)、1934年に指定された大雪国立公園内を意識し、また糠平温泉への入口でもあった駅舎は簡素ながらもモダンな造りである。釧網線の川湯にせよ、この時代の観光駅舎は洒落ていた。
駅前には音更川が流れ、そこに架けられた木造の簡易なトラスで補強された橋を渡ってのアプローチは体験してみたくなるロケーションである。
広場に停まったボンネットバスは温泉とを結ぶものであろうか。糠平温泉はここから糠平川の広い谷を上った標高差100メートルばかりの原生林の斜面に存在した湯治場だったはずである。緩い斜面とは云え、駅からは原生林が遮って望めなかったと思え、その様子は1955年6月18日に米軍によって撮影された空中写真に見える。付替線は路盤工事を終え、堪水域の樹木の伐採も完了しつつあった時期だけれど、それら工事の開始前の原生林に覆われるばかりの様子が伺い知れる。
駅は開業から2年間程は終端駅であったから機関車の駐泊所が設置され、同時に開かれた営林署の土場までの専用線も有していたようである。

写真は、付替線の不二川橋梁(l=130M)を渡る726D、帯広行き。正午も間近と云うに北の光線はこんなに低い。
背後の湖面が糠平川の流下し、旧駅への道路の通じていた谷である。
新駅への移転に際して、そこの駐泊施設は十勝三股に移設されだが、営林署の積出線は維持された。

=参考資料=
士幌線の線路付替工事について: 交通技術1955年10月号(通巻112号)所載 交通協力会

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4S 1/500sec@f8 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

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