"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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銭函 (函館本線) 1975

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苗穂工場敷地にガソリン動車キハニ5000の5005が保存・展示されている。1929年に鉄道省最初の内燃動車として製作された形式であり、札幌鉄道局には2両が配属されて東室蘭-室蘭間に市内交通のフリークエントサーヴィスを提供した。事業用車への改造を経て廃車後に苗穂工場で倉庫代用となっていたものを、同工場の70周年記念事業にて原型復元したのである。ただ、車体の所属表記の[名カキ]や取付けられた行き先札の[仙䑓-塩竃]は、確かにこの形式の現役当時の配置先や運用区間ではあるが、苗穂での保存には些か腑に落ちない。
前置きが長くなってしまったが、話は同車の外観上の特徴ともなっている車体端の屋根に設置された機関冷却水の放熱器である。この冷却水は機関からここに至るまでに客室内に回された放熱管を経由した。即ち、この車両の暖房装置は温水式であった。
機関廃熱の有効活用は内燃車の暖房としては理想的であり、1962年度以降に国鉄気動車の標準方式となった温水暖房の嚆矢には違いないけれど、それはこのままに順調に発展したものでは無い。キハニ5000の原初的とも云える温水暖房は機関の出力から、このような小型車はともかくも広い客室の暖房には容量が満たせなかったのである。

従って、これに続く機関を床上に装備した大型車体のキハニ36450は、蒸機発生装置を荷物室に搭載する蒸気暖房方式が採用された。やや時代の下って1937年に総括制御をねらって製作された3両固定編成の電気式ディーゼル動車-キハ43000も中間車のキサハ43500に重油燃焼式のボイラを積んでいた。しかしながら、これらは暖房容量を満たしても車体重量の増加をもたらして普及すること無く、内燃動車の暖房には、機関の排気を循環させる排気暖房の試行を経て、客室内への漏洩事故の危険からそれにて暖めた空気を室内に送気する暖気暖房に落ち着いたのだった。但し、当初より暖房を設備していない形式も多々存在した。
と偉そうに書いているが、実はこの暖気暖房がどのようなものであったかを見たことが無い。1960年代の地方私鉄には自社発注や国鉄から払い下げられた機械式内燃車が残存していたのだけれど、この時期ともなれば後述の温気暖房に換装された例が多く、暖気式を維持していたのは江若鉄道に21両がまとまっていた以外は10社で64両に留まっている(温気暖房との併用を含む)。道内では留萌鉄道にキハ1000と1100の計3両が記録されているが、残念ながら乗っていない。これらは1955年と59年製にもかかわらずの暖気式の採用は、後に述べるように道内のごとき寒地に温気式は容量が不足したのかも知れない。
せめて、室内への暖気吹き出し口の形状でも見たいと写真を探すも見つからなかった。ご存知の向きがおいでなら御教授願いたい。

キハニ5000での温水式暖房は紆余曲折を経て、戦後のキハ22にて国鉄気動車の標準方式となる。それに不可欠であった温気暖房器の開発も含めては次回とする。
(この項 門静 (根室本線) 1981 に続く)

写真は石狩湾岸区間での堂々足る遜色急行、904D<らいでん2号・いぶり>。
後追い撮影の後部1両が小沢解放の岩内行き、2両目が倶知安からの<いぶり>、前部2両が上目名行きである。
この頃、苗穂には21両ものキハ21の配置が在りキハ22と共通使用されていたのだが、さすがに急行列車を含む運用は区別されていたと見え、それが<らいでん>に入ることは無かった。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.8 1/250sec@f5.6 Y52 Filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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