"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

北浜 (釧網本線) 1979

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1962年以来、永く3往復運転が維持された釧網本線の優等列車は、1984年2月1日改正にて普通列車での北見発着も廃して線内の2往復となり、1986年11月1日改正で全廃された。
その後裔にあたる快速列車は通過駅が数駅とは云え、同改正にて投入のキハ54の動力性能を以て、急行時代とさほど変わらない到達時分にて釧路-網走間を連絡したものの、それの輸送量は単行運転にて事足りるものになっていた。
経営基盤が弱いとされた北海道の承継会社に引き継ぐダイヤとして運転、保守ともに経費のかかる老朽車の2両組成を新形式の単行運転とする施策であったろうが、この区間の3時間余りの運行は、もはや急行料金を徴収できるものでも無かったのである。
とは云え、この時点でここに並行する都市間バス便の存在したで無く、急行廃止に呼応してすぐに代替運行を始めた訳でもなかった。バス会社をしても市場性を見いだせぬ程に直通旅客は減っていたのである。

ここに都市間バスの運行されるのは1993年末に至ってからであり、その網走を無視した釧路-北見間は国道240号線から39号線を運転して釧網本線と併行する区間は無い。多客時運行より始まったそれは、翌年には定期運行となったものの現在まで午前午後の2往復運行のままである。
所要時分の3時間は、同区間に直通の急行列車設定の在った当時の4時間20分余りを遥かに短縮したけれど、旅客はその程度に過ぎない。
この80年代始めでも、釧網線急行へそれなりに乗っていた乗客はいったい何処に消えたものか。自家用自動車への転移としても、全てでは無かろうに。沿線人口がそれだけ減ったと考える他にない。確かに、1970年と2000年の比較では、両端の網走市と釧路市に大きな変動の無いものの(* )、沿線で急行停車駅を擁した標茶、弟子屈、清里、斜里、小清水町の各町ではそれぞれ3000から4000人を減じて、ここの輸送市場からは2万人近くが退場している。もともと分母の大きく無い中での2万人は、旅客車の80名程の座席定員に空席を目立たせるには十分な数なのだろう。
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(* ) 釧路市は2万人余りを減じたが、隣接する釧路町で1万5千人を増やしている。単純な図式ではなかろうが、ベッドタウン化にて釧路からの流出人口の多くを吸収したと見える。

北浜定番の濤沸川橋梁を往くのは、612D<しれとこ4号>。
記録に1月13日と在るのに濤沸川の凍結せず積雪も見られないとは、余程の暖冬の年だったのだろう。

[Data] NikonF2A+AiNikkor28mm/F2.8 1/250sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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