"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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黒石平 (士幌線) 1985

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士幌線の廃線跡に多数が現存するコンクリート製の拱橋群は、工場で製造して架橋現場に輸送せねばならない鉄桁に代えて、現地で調達可能な材料と運搬の容易なセメントを用いることで、1930年代の当時に多くが構想されていた地方開発線の建設費の低減策として試行されたものである。背景には、実現を可能せしめていたコンクリート構造物の設計や施工の技術革新があり(*1)、国立公園内と云う環境への調和も配慮した点も併せて近代土木遺産として評価される所以である。
国鉄精算事業団の保有であったこれらの解体撤去の事態に直面して(*2)、地元有志が遺産価値を認めて保存運動を立ち上げ、最終的に上士幌町が、その内の33基の買い取り(*3)に動いたことにて、これら拱橋群の存在自体が観光資源としても注目されるに至った。もとより行政当局に保存経費の予算化は困難で解体を一時回避したに過ぎぬのだが、それらの中の代表的5橋は、後に文化財保護法に基づく登録有形文化財とされた。
これには、ダム堪水域を保有する電源開発すら財産としていないタウシュベツ川橋梁(*4)が最も注目を浴びると云った皮肉な副作用も伴っていた。

ここには、これら1930年代の築造になるものの他に、1955年8月1日に切替えられた糠平ダム建設にともなう付替線上にも幾つかのコンクリート拱橋が残されている。ダム迂回線の性格から音更川右岸の急斜面に建設され、必然的に山間の谷や沢筋に架橋を要して、延長50メートル級の第一糠平陸橋、下の沢陸橋に中の沢橋梁など10から15メートルの径間を連ねるものを含め、ここにも拱橋が採用されたのである。
その位置から接近も難しく、1950年代半ばの建設にて技術的に目新しいところも無いせいか、土木方面からは注目されず、観光面にも案内パンフレットに国道から遠望される中の沢橋梁が記されるのみである。けれど、景観への配慮と云う先人の意思を継承して、ここにもコンクリート拱橋を多用した事実は、より評価されて然るべきであろう。
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(*1) 無筋による10m径間、鉄筋を入れた32m径間にて、橋梁負担力は乙線並みの活荷重KS-15を実現していた。鉄桁を採用した第一、第二、第四音更川橋梁の負担力は簡易線建設規程に準拠したKS-12の設計であった。
(*2) 実際にいくつかは撤去された。
(*3) 他に路盤跡および隧道の1本を含む
(*4) 水没物件であり、解体撤去を省略したものであるから存在していないと見なされる。

=参考文献=
北海道鉄道百年史 : 国鉄北海道総局 1976-1981
札幌工事局七十年史 : 国鉄札幌工事局 1977
交通技術 : 交通協力会定期刊行物 1955年通巻112号
戦前期鉄道アーチ橋建設工事の計画と技術展開 : 土木学会北海道支部論文報告集 1998年

写真は、急峻な斜面に位置する中の沢橋梁の25パーミルを登る723D、十勝三股行き。周知の通り、列車運行は糠平までである。

[Data] NikonF2A+AiNikkor200mm/F4 1/250sec@f5.6 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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