"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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東室蘭 (室蘭本線) 1996

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東室蘭(当時には輪西)が現在位置に置かれたのは、長輪東線が伊達紋別までを開通した1925年8月20日のことで、それの室蘭本線からの分岐に際して岩見沢方に移転したものであった。室蘭は既に市制を施行(*1)していたけれど、旧塵別村(*2)村域で、かつて開墾の屯田兵が中島台と名付けた一帯を当時の絵図に眺めれば、中嶋神社の高台周辺に商業学校と小集落らしきが描かれるものの、現在の東町あたりは馬市場に屠場、火葬場の点在する程度の海岸湿原の続いていたと見て取れる(*3)。
そのような原野に直線に敷かれていた線路上に新設の分岐停車場は、現在の東口側に駅本屋と駅前広場を置いて開駅した。そこには線路に併行して札幌本道(*4)が通じていたから当然の選択ではある。
この地域には、やがて輪西町と連続して製鉄所の社宅街が開かれ、アジア太平洋戦争戦時下に至る頃までには一般の住戸も市街地を形成して行ったものと思う。

1970年代初頭にここへ初めて降り立った時も、確かに駅は住宅街に囲まれて所在していた。東口も西口も駅前には商店こそ開かれていたけれど、商店街を形成するでなく、住宅地の一角であった。
この状況は、西口駅前通り周辺に業務区域が形成され、チリベツ川を越えて商業地らしきものが成立した現在でも基本的に変わっておらず、特に東口側にはその感が強い。
室蘭本線の主要駅ではあるが、旅客流動は各方面への乗換えに限られ、主には室蘭方面への貨物列車中継、貨車操配の拠点として機能を担い、周辺市街地との関連の希薄であったゆえ当然ではある。それでも、宅地化の進まなかった西側に街路の整備されつつあった戦後には、小規模な西口駅舎が置かれ、1970年6月に至っての橋上駅化はそこの業務地区としての発展を背景に、東口(既存本屋)側にも配慮した選択であろう。
永らく貨物フロントに使われた東口の駅舎は、この際に橋上本屋に吸収しきれない機能の事務所棟として旧本屋跡に建設されたものである。駅としては余りに愛想のない建築はそれゆえであったが、貨物拠点としてのこの駅の性格を期せずして体現していたとも云えよう。

ご承知のとおり、ここには旧本屋位置に接して1番線ホームが存在した。これの旅客扱いへの稼働に調べを入れてみたのだが、資料に乏しく分からなかった。設置は開駅時、使用停止を1940年度に着工して1944年度に竣功した鷲別地区への操車場施設建設関連の構内拡張工事の完了時と推定するものの、鉄道省資料は操車場工事に触れても本駅側での詳細は記録していないのである。当時には室蘭までを往復したガソリン動車の発着したことだろう。
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(*1) 1922年8月1日付
(*2) 室蘭港実地絵図 1902年 による。知利別とはされていない。
(*3) 室蘭市図絵 1927年/ 工都室蘭 1934年 による。
(*4) 当時には國道28号「東京市より第七師団司令部所在地(旭川)に至る路線」であった。現国道36号線。

東室蘭構内下り方の全景。1番ホームも原型にて健在な頃である。
列車は、4097列車。

[Data] NikonF4s+AiNikkor105mm/F1.8S 1/60sec@f2.8 Non filter Tri-X(ISO320) Edit byPhotoshopLR4 on Mac.

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